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否(ノン)という人間=『ペスト』から『反抗的人間』へ [2018年07月12日(Thu)]

われ反抗す、ゆえにわれら在り
 否(ノン)という人間=『ペスト』から『反抗的人間』へ

 NHK Eテレビの「100de名著」のテレビ、「ペスト」の第4回は「われ反抗す、ゆえにわれら在り」を見ています。このテーマも終わりを急ぎます。

  偉い人たち(宗教者も含む)がメンバー全体にイデオロギーや理念を押し付けて市民を苦しめるのがカミュの「ペスト」です。 大きな組織、小さな集団にも、ペスト的人間がいます。それに反抗しないことも「ペスト」です。集団的ペスト。社会全体の幸福を妨害します。無評価ではいけない、個人の意志で反抗せよというのです。カミュの「ペスト」は全体主義、画一主義に反抗せよというのです。初めて反抗の行動をする時は、孤独のようであるが、賛同者がいるというカミュ。

 「一個人を苦しめていた病気が、集団的ペストとなる。われわれのものである日々の苦難のなかにあって、反抗は思考の領域における『われ思う』と同一の役割を果たす。反抗が第一の明証となるのだ。しかし、この明証は個人を孤独から引き出す。反抗は、すべての人間の上に、最初の価値をきずきあげる共通の場である。われ反抗す、ゆえにわれら在り」(p102)

 次は中条さんの解説の言葉です。

 「思考の領域にとどまらず、行動の領域に進んで「われ反抗す」となるのは、単なる思考ではなく、世界のあり方に反抗し行動することが、われらの存在の証となるからです。」(p103)

 内心では、トップ、幹部、多くのメンバーは「おかしい」という本音をいだく、不満の思考を持つ。しかし、自分の独自の意志で深く考えないで同調、追随したり、こわいから反抗しないで、傍観、見捨てる、無視する。反抗の行動をしないので、不十分な状況が続いて、関係するクライアント、顧客、市民などが迷惑する。救われるはずの生命が奪われることもあるのです。適切な対策がとられずに、自殺、殺人、病死。 だから、カミュは反抗せよというのです。「反抗することで、連帯することが可能になる。」(p103)

(このブログも多数派、いろいろな組織にかなり反抗的に見えるかもしれませんね。しかし、カミュによれば、賛同者と連帯できるはずです。私も自殺したかもしれませんが、少数派の人に救われました。お亡くなりになり、ご恩をお返ししていません。記録することがそうなのでしょうか、わかりません。反抗は「敗北するとしても」カミュがいいます。次の記事ですね。)

(続く)
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
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Posted by MF総研/大田 at 21:12 | エゴイズム | この記事のURL