CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«対人場面、社会的生産的行為の最中に 観るのは相手の感情や意志 | Main | 言葉を見て,言葉を聞き、言葉を書く »
言葉を見て聞き、言葉を書く、発言する [2018年04月26日(Thu)]

言葉を見て聞き、言葉を書く、発言する

 さらに、西田哲学の言葉についての哲学を見て、マインドフルネス(観察)の範囲を考えます。 対人関係でない時の、感覚は人間の意志、欲求を表現したものではないので、無視していいものです。無評価?でも。

 しかし、対面や電話で言葉を聞くとか、本やメールなどの言葉を見る時は、無評価ではありません。

西田幾多郎は、こういいます。

 「自然現象は何物をも志向せない、自然現象としては何物も言表せない。・・・。一が他を表現するには、表現するものが我々の意志的行為の性質をもたねばならない、空気の振動が意味を表現するのではなく人間の声が意味を表現するのである。言語とか文字とかいうものは意志の客観化せられたもの、否意志的行為の延長として、道具の意味をもったものでなければならない、いわば之によって何物かを掴み得る手の如きものでなければならない。」(『自覚的一般者に於いてあるもの及それとその背後にあるものとの関係』旧全集、巻5, p318-319 )

 MBSRの手法は、食べる、歩く、ヨーガ、正座などにおける感覚の受け止めである。そこには、相手からの言葉はない。壁や畳や、歩いていく風景や自然現象が意識される。無評価観察でよいだろう。しかし、我々は、家族のいるところでも、職場でも芸術、教育、医療、福祉、政治、あらゆる現場で、「言葉」を見、聞き、そして、言葉で考えて、言葉を他者に向かって発している。

セクハラ、パワハラ、差別思想、人格否定などが含まれていないか、言葉を発しようとする時に、評価すべきなのである。また、実際、多くの人は評価している。しないものが、セクハラ、パワハラ、アカハラ、ドクハラなどと批判されて、地位、名誉を失う。

言葉は、人の欲求、感情、意志などを表現しているのである。無評価観察ではありえない。こういう哲学が考慮されず、一部の自然相手の感覚の観察に還元した定義で行うものであるから、方法が一貫しないと言われるのだろう。少なくとも、ACT,弁証法的行動療法、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、もっと深く観察している。「自己の階層」もいう。浅い自己は真の自己ではないと評価させる。そこも、無評価ではない。

では、どのように「観察」するのか。西田哲学では「「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動する」である。 フランクルが言ったように、人間の科学には、全体主義、画一主義、還元主義がはいりこみやすい。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3549 【目次】第3世代の認知行動療法
Posted by MF総研/大田 at 20:38 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL