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マインドフルネス瞑想療法士🄬の講座10回目が終わりました [2018年03月15日(Thu)]

マインドフルネス瞑想療法士🄬の講座10回目が終わりました

3月10日、マインドフルネス瞑想療法士🄬(MMT)の資格認定講座が 終わりました。 日本の深いマインドフルネスの実践法を用いる 新しいMMTが十名以上生まれます。

テキストと資料

(B) テキスト『深い日本的マインドフルネスへ』
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/shuppan/simt10-mokuji.pdf 目次

(C) テキスト『創造的直観への実践』
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/shuppan/phy05-mokuji.pdf 目次

(D) セッション10 「これからの課題」の関連資料
 クライアントへのアドバイスのポイント
 別紙 「86号 自己と世界の相互交流」自己は世界の中
 別紙 「87号 基本的自己洞察法」 静かな環境での自己洞察法
 別紙 「88号 動的統合洞察法」  行動時自己洞察の実践
 別紙 「89号 ずっとSIMT実践で生活」
(E)資料(10-1)「自己洞察スキルに差がある」
(F)資料(10-2)「MMT資格はあなただけのものではない」
(G)資料(10-3)「道元禅師が強く求める本音の観察」

10回目の学習のねらい

 マインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想療法)は、西田哲学を背景の理論にしています。禅は、実践化、生活化するものです。西田哲学は論理的に説明するものです。西田哲学から見ると、現実に行なわれている禅や仏教は、論理的に検討された西田哲学がモデルとする宗教(的なもの)とは違っています。西田哲学が期待するような実践は、広く行われているわけではありません。哲学や仏教学の研究者からみれば、現代の環境(家庭・職場)で行動時(ポイエシス)においての内面形成(プラクシス)としては現代的には十分でないわけです。
 山寺の中、坐禅堂の場での実践になっていて、社会(世界)創造に参画する自己はどうあるかが弱いのです。ごく少数の深い哲学者、仏教学者が指摘しました。
 西田哲学からの深い実践哲学に導かれて、世界を創造していく現代社会の中に生きるすべての人のために新しいマインドフルネス(=自己の観察、プラクシスの実践、生活、自己存在探求のしかた)を紹介し、開発していかねばならないでしょう。

 今回は、意志的自己レベルのSIMTのセッション9,10にまとめてある手法の背景にあるものの一部を詳しくみます。みなさんの「自己」のマインドフルネスの実践が浅いか深いかによって、今回、学習することも、違うように理解されます。深い哲学を帯びて実践すると、深い見方になっていきます。
☆すべてが自分の心の場所にある ⇒「場所の論理」
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/shuppan/phy03-mokuji.pdf

☆意識される自己は真の自己ではない
☆心理現象の奥に器、鏡(これも見られた「意識の野)であれば真の自己ではないが)
☆自分と世界の相互交流 ⇒「創造的世界の創造的要素」
☆現れる現実が対象的に意識される、ここは予測不能、不快⇒受容
 しかし、自分の自由意志で社会を創造できるもの(価値)を見つけて行動する。

学習や研究の方向(水平展開と垂直展開)

 西田哲学は、ほんとうにすばらしい人間哲学です。 専門家の悪と善のあらわれる構造を教えてくれます。これをおうようすれば、多くの領域に新しい解決方法の可能性があります。
 「まず、森全体を概観しよう、それからよさそうな木をよく見よう」

 ☆意志的自己レベルのSIMTの水平展開
   ⇒(受講生の皆さんによる広い領域への社会的応用)
 ☆叡智的自己、人格的自己への垂直展開

SIMTに用いられている深いマインドフルネスは、西田哲学から学ことができます。これからマインドフルネスの研究がすすんでいくと、どのマインドフルネスでも、西田哲学が理論のささえになると思います。人間というものの哲学は日本が最も深いようです。そして、それに到達する実践まで日本にはあります。(それを現代化する必要がある)

☆「自己存在」(実存論)とは何か、
☆その自己から対象世界の見方(認識論、マインドフルネス的状況把握)
☆社会参画的行動(行動実践論)の理論
☆場所的論理から説明できる。作用はおいてある場所がある。真の自己はもっとも内奥の絶対的一者と個人との絶対矛盾的自己同一。絶対的一者も個人的自己もそれ自体では存在しない。
☆すべての人は、根底に絶対的一者を持つが、それはそれ自体では存在しない。必ず、この個人的自己、唯一・一度的存在のこの自己を一焦点として世界を創造していく。

誤解されている仏教、禅

 参照:『創造的直観への実践』

 西田哲学も誤解され、現実に活かされていないといいました(西田幾多郎の孫上田薫氏)。仏教や禅も誤解が多いという専門家がいます(西田幾多郎、秋月龍a、竹村牧男など)。 ということは、豊かなものを含んでいるのだから、現代に貢献できる可能性が大きいのです。
 一般人は、専門家(僧侶、研究者)から本や説法を通して教えられるのだが、誤解が多いとどうなるでしょうか。有用性がないとみられて、国民が離れます。欧米のような現代に応用する研究ができません。
 現代でもなお解決していません。(参考:竹村牧男「宗教の核心」春秋社など)

 西田哲学は、場所の論理で一貫して説明されます。自己洞察瞑想療法(SIMT)も、場所の論理で貫いています。浅い場所から深い場所まであります。 叡智的自己のSIMTも人格的自己のSIMTも場所的論理によります。 絶対無は、すべての人間の根底の現実であるから、人格的自己の基礎 絶対的無評価、唯一・一度的存在としての自己が個性的世界の一角で個性的に、 自己を尽くして世界を創造する。

 学習する理論(認知、思惟)や部分的に行う技術ではない。現実の生活で常に実践していきます(実践論=行動指針、実際はテキスト:『行為的直観』)。 もの、働き(作用)は何かに置いてある=場所

場所は作用や対象を包み容れる、映す。 その場所が幾層もある。意志作用、意識的自己を包む場所がある。 これが叡智的自己の場所。これは、各人によって立場が違い、互いに受け入れない。さらに、それを包む絶対無の場所がある。

これが、SIMTの実践のすべてに考慮されています。(ただし、自己の階層によって違う)

自己は創造的世界の創造的要素=人格的自己

参照:『深い日本的マインドフルネスへ』
   『創造的直観への実践』

 本のセッション9,10あたりの説明は意志的自己レベルの人でも理解できるような 思考作用で理解し、意志的な行動をしていくように翻案してやさしく書いてあります。 通常の場合、この意志的自己で生活できれば、精神疾患にならず、なっても回復できるでしょう。人間関係も悪化させないでしょう。
意志的自己で満足できない人は、叡智的自己、人格的自己のマインドフルネスの実践にとりかかります。そこは、今回の講座のマインドフルネス瞑想療法士(MMT)の扱う範囲を超えます。今回、もっとも深い人格的自己のレベルの哲学を簡単に紹介しています。

叡智的自己の行為的直観(狭義)と人格的自己の創造的直観

参照:『行為的直観』(9回)   『深い日本的マインドフルネスへ』
  『創造的直観への実践』

 MMTが用いる意志作用の哲学は西田哲学を参考にしました。その奥に行為的直観、創造的直観があります。こういう深い哲学が日本にあることは理解しておくのがいいでしょう。すべての人の自己の真相です。わかっていなかったこと、自分の知らないことがあったのであり、ほかにもあるのです。金子みすゞもそういっています。

 「創造的直観への実践」の核心は、主観的自己への執着、その主観的自己の独断を捨てることです。それは対象的思考だからです。真の自己はその思考をしている奥にあります。
 道元禅師も「我見我執己見を捨てよ」と繰り返し説示しています。
 これは、容易ではありません。専門家でさも、ある立場にたった種的集団的な立場による対象的な思考による理解になっています。

参照:『マインドフルネスのための道元禅入門』

西洋哲学、および、西洋のマインドフルネス

アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)の哲学

参照:『深い日本的マインドフルネスへ』

 西洋哲学は、自分を主観とし何かを対象とみる対象的論理が多いです。自分(主観)と対象が分かれているので、二元観です。(西田幾多郎)
それもあってだろうが、欧米のマインドフルネスは、二元観が多いです。 アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)の文脈としての自己の場所と、 西田哲学の場所との違いがあります。ACTの文脈としての自己は、叡智的自己の入口の、意識一般であるようです。みなさんの比較研究を期待します。それより深い苦悩は、深い自己の内奥の場所から起きます。
 MBSRのジョン・カバット・ジンは「全体性」をいいますが、その言い方で禅の「悟り」で体験するものであると思われますが、詳しい説明がありません。 また、弁証法的行動療法のリネハンは、深い自己の底をいいます。 欧米の人は、深い人間哲学(西田哲学、道元の深い身心脱落のところかもしれない)をもち、精神療法として開発しました。ということは、リネハンは、日本人よりも深い自己の体験者であるといえます。 ジョン・カバット・ジンやリネハンのように相当深く探求する精神医学関係者がいます。

日本文化に流れる東洋哲学=最も深いマインドフルネス

参照:『深い日本的マインドフルネスへ』

 日本人は、西田幾多郎が最も深い自己存在の哲学に該当するという道元禅師と親鸞聖人に親しみをもっています。根底に西田哲学がいう対象とならない、すべての人間の共通の、絶対的一者があります。意識的自己が包まれているものです。
 日本人は、そのような深い自己の探求をしてきたひとが多いのです。

マインドフルネスという視点から、課題が数多くあります。

セッション10 「これからの課題」

参照⇒ 別紙 会報86号〜89号

場所の論理の反映として、作用や対象を包み映す根底の場所を観察します。 通常意識されるものは、作用の対象です。自分ではありません。考えられた自己観も思考作用の内容にすぎません。こうして現れるものに、執着したり嫌悪したりせずに、自分のなすべきこと(価値実現)に意識を向けて行動していきます。本音が価値実現を妨げたり、他者を苦しめたりします。よく観察して、独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行為しましょう。そうすると、問題行動はなくなり、症状も軽くなります。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouza/ix-soudanin.htm
★10回の内容の全貌
Posted by MF総研/大田 at 21:51 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL