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本音の観察(4) [2017年10月15日(Sun)]

本音の観察(4) 自分や他者を苦しめる本音が学問にも



 日本的マインドフルネスである自己洞察瞑想療法(SIMT)は、本音の観察を重視します。見る、考える、行為する、まさにその時に、現在進行形で対象を色眼鏡やフィルターのように覆ってしまう、主観的、独断的、自己中心的な評価や基準を「本音」といいます。再発予防ではなくて、うつ病や不安症などを改善するほどのマインドフルネスはこれが必要です。(大田健次郎「うつ。不安障害を治すマインドフルネス」佼成出版社、2013,p111)

 本音は、すべての人にある自己中心性の心理であり、他者に知られたくない闇の心理が多いです。何かを嫌悪、嫉妬、軽蔑しているとか、何かに執着したり依存しているとか、解決にならない行動基準、自己中心的な行動基準などがあります。
 家庭や職場で誰にでも起きているのが、会話の中で起きる怒りの感情の背後にある本音です。Aが言った言葉を聞いてBが怒りの感情を起こし、反撃の言葉を返すので、口論が続きます。これで家庭、職場、近所の人間関係が悪化します。始めは、特定の言葉や行動の嫌悪ですが、繰り返されると、その人物を嫌悪(人物嫌悪の本音が形成される、いじめ、排除 絶交、不和、離婚などへ)し、その場である家庭や職場や近所(場所嫌悪の本音)を嫌悪することに発展します。

 相手AをこちらBの思い通りに変えることは難しいので、まず自分が対策をとるのがSIMTです。その時に、AとBの両方の価値、本音、基準が違うのだということを知っておく方法が本音の洞察です。基準が違うので自分に怒りが起きるのだと瞬間的に現在進行形で評価するのです。基準を変えるとか、嫌いなものを好きになれというのではありません。ただ、怒りが起きるのは基準が違うのだと評価判断するのです。そして、価値崩壊にならないような応答行動をやはり瞬間的に選択します。その応答行動も行動した途端に感覚で知覚されるので、それにも、エゴイズムの本音がないかどうか現在進行形で評価判断しなければなりません。感覚受け止め、思考、行動が同時です。思考、行動まで同時なので、自分他者組織社会を傷つけていないか評価判断しつつ行為しなければなりません。社会的行動時(ポイエシス)における「マインドフルネス」(観察、プラクシス)はとても難しいが社会のためには、きわめて重要なのです。だから、日本人は禅の実践として長く探求してきたのです、論理的には、西田哲学で解明されました。

 これは、対人関係での一例ですが、自分独自の執着、嫌悪に基づく本音は実に多いです。西田哲学でいう独断であり、これは誰にもあり、避けることはできません。ただ、自分や他者を苦しめないような行動をとるように努めることが、生涯、続く実践です。

学問におけるエゴイズム、本音

 本音は専門家にも学問する人にも避けられず、社会の利益よりも自分の立場を利することを優先しすぎて、必ずしも社会が最良の状況で発展するわけではありません。本音は、家庭、職場、趣味・ボランティア・科学の組織などすべての場所で起きるので、西田哲学は、どういう本音(西田哲学では独断という)があるかを観察し独断のない社会を作っていくことを後世の我々の課題として残したのです。

 「マインドフルネス」に対しても本音を形成しています。欧米の無評価のマインドフルネスが好きという本音、日本の独断を捨てるマインドフルネスは嫌いという本音。

 実践をいうマインドフルネスが嫌いという本音、実践しなくても身につくマインドフルネスが好きという本音。坐禅が嫌いという本音。悟り、絶対無の体験が嫌いという本音。こうした本音は、学問とよばれる論文に影響します。語録を読む時に、本音の色眼鏡で言葉を選んで、論文を構成します。本音によって、全く違う解釈をします。
 「般若心経」は、勝義諦で書いてあるのに、世俗諦でしか読み取ることができない(下記の<目次>大乗仏教からの初期仏教批判)、など、仏教や禅の学問に、その個人の好き嫌いの本音が強く影響します。 文字研究の学者の中には、坐禅のような実践を嫌悪する本音をもつひとがいます。坐禅しなくても、禅は分かるという論文もあります。学問において論争があります。真の自己は対象的でなく、文字の研究ではわからないという勝義諦を嫌悪する本音をもつひとがいます。真相はどちらなのか、一般国民にはわかりません。

 西田幾多郎博士がいうように、独断的な本音が働くのです。西田博士は、世界に独断と偏見が充満しているといいました。現在の「マインドフルネス」もどうなるのか全くわかりません。予測できない人間の本音です。仏教でいう「煩悩」です。独断的な本音で、見て、考えて、行為する傾向が多いのが人間です。 それを変えたいというのが、後期西田哲学の実践論でした。深いマインドフルネスの行く末は多難です。
 エゴイズムの心理、本音は、大乗仏教では「煩悩」とよばれました。竹村牧男氏の 「般若心経を読みとく」に詳細な説明があります。宗教者も学者もこれを言わなくなっています。だから実践も学問も自分のエゴイズムの心理に影響されたものも多くなっています。「マインドフルネス」という黒船が入ってきた今日こそ、日本の先人が探求した自己の観察実践の指針を鏡にして、現代にふさわしい良心的行動指針を検討していかねばならないでしょう。西田哲学の「至誠」が一つあります。 http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/senmonka/jissen-sisin.pdf 
西田哲学・至誠

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/honne.pdf (表)階層の違いに現れる本音

この記事は、次の連続記事の一部です。
<目次>本音の観察
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