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四諦八正道の最終目標が社会貢献ではない [2017年09月23日(Sat)]

<目次>大乗仏教からの初期仏教批判
四諦八正道の最終目標が社会貢献ではない

 この記事を、竹村牧男氏のご著書により
大乗仏教からの初期仏教批判
  =大乗仏教は在家にとってすぐれたマインドフルネス」

の連続記事の目次にします。 つまり、家庭や職業を持つ、現代では、マインドフルネスならどれどもいいというのはおかしいということの証明です。「四諦八正道」をマインドフルネスの標準にすべきだと強く主張する人がいますが、古代のインドの思想が背景になっているうえに、出家主義の思想だから、家庭職業を持つ人の多い現代日本の環境では、標準にするのは難しいだろうと思うからです。

 初期仏教の四諦八正道にある哲学、目標の批判が大乗仏教からありました。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3574 

 わかりにくいでしょうか。
 別の個所の説明をみます。

 「『般若心経』が否定するものは、まずは実体的にとらえられたものについてであると考えられるとき、この無苦集滅道の中の滅諦も、実体的存在としてのダルマの体系(五位七十五法)の中の無為法である涅槃と見ておいてよいでしょう。 大乗仏教は、まさにこの涅槃観を否定したところに成立します。 修行の最終目標は、そのように何の活動もない状態になること、無にも等しい状態になることで、はたして本当によいのかという問題提起です。ただ生死輪廻の苦しみから逃れられればよいのか。 大乗仏教はそうは考えません。むしろ生死輪廻の中に入って行って、しかもそれに染まらず、とらわれず、自在に苦悩する人々を救済していく活動をめざします。生死輪廻からの自由でなく、生死輪廻への自由を追求しているのです。人間が修行する、その最終目標は、身心を滅してしまうような世界ではなく、どこまでも自利利他の主体としていくことにあるとしたのです。それは、智慧を完成することによって成就します。悟りの智慧が実現したとき、覚った人=仏となるわけです。」(P218)

 だから、長く実践するつもり、マインドフル・ライフ、いかに生きていくかと生涯実践する指針にするならば、 そのマインドフルネス(観察、気づく)の目標が何をめざしているのか、その哲学が極めて重要なのです。長く指導を受けると、どうしても、その詳細な哲学を教えこまれて、それを信じるようになるはずです。信じないならば、人生の指針にはならないわけです。中途半端になるでしょう。初期仏教でもない、大乗仏教でもない。その人だけの独断的な思想かもしれません。
  初期仏教は、我空法有の哲学であり、大乗仏教は、我法俱空の哲学、 ACTは行動分析学という哲学です。MBCTは、何でしょうか。 道元禅師とか、全体性への入門のようです。自己とはなにかという哲学がまるで違います。長く実践するつもりならば、 マインドフルネスならどれでも同じというのではありません。
 物理学者の大栗氏が、科学では、自己を解明できないといわれました。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3569
 大乗仏教は、これを直覚で体験(勝義諦)するのだというのです。大乗仏教でないと、真の自己がわからないというのです。真剣な人は、大乗仏教でないと探求できないのです。
<目次>大乗仏教からの初期仏教批判
 =大乗仏教の哲学は在家にとってすぐれたマインドフルネス
本当の自分とは? 人生はなぜ苦しい?

「マインドフルネス」がブームになっていますが、「マインドフルネス」もさまざまな流派があります。2千年の間に、洗練されてきました。大切な、一度きりの人生。浅いものにとじこめられないように、よく知って選択すべきです。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3159
★マインドフルネスには危険なこともある

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2194
http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
http://blog.canpan.info/jitou/archive/2369
http://blog.canpan.info/jitou/archive/2370
 各人が自分のものをベストという。浅いものにとじこめる。(粟野医師からの警告)
 仏教やマインドフルネスにもこれがおきる。

仏教の現状やマインドフルネスの現状を超えて深い探求を
 =大乗仏教さえもが理解され実践されていない
以下の連続記事は、 竹村牧男氏「般若心経を読みとく」角川ソフィア文庫、2017による。

(1) 勝義諦
  =絶対に対象にならず、言葉にできない自分
(2) 小乗仏教への批判
  =「四諦八正道」は、家族職を持つ人がモデルにするようなものではない
(3) 自己の真理の説明、探求に階層性
 =科学は、自己を解明できない。
「科学は自分とはなにかは答えられない。」 (⇒理論物理学者、大栗博司氏の言葉)
 従って、対象的に言葉で説明する心理学も、真の自己を解明できない。言葉のレベルのマインドフルネス心理学とそれを超えた言葉以前の真の自己まで探求するマインドフルネス実践哲学が必要である。
 マインドフルネスは、現代の人が求めている。昔の封建社会、出家者中心の哲学、実践方法ではないものが必要となっている。MBSR,MBCTがブームとなっているのがその証であるが、 MBSRは、”全体性”を極めた、日本の深いマインドフルネス実践のその入門に当たる。静かな環境で、3つの主な手法で、対象的な知的観察が中心である。このレベル、階層による現代の問題解決に有効である。
 深い階層による問題の解決には、効果がない。欧米でも、リネハンの弁証法的行動療法は、大変に深いマインドフルネスである。パーソナリティ障害に有効である。
(4)四諦八正道の最終目標が社会貢献ではない
 初期仏教(ビパッサナー瞑想を行う)の涅槃観、修行の最終目標は、何の活動もない状態になること、無にも等しい状態になることである。それは、現代の人は目標とはできないだろう。
(5)現代にふさわしい哲学が必要
(6)大乗仏教は四諦八正道を否定した
(7)平成は仏教、禅の冬の時代
(8)大乗仏教、西田哲学は「共生」の根拠
(9)わかったにとどまらず働け
(10) 「死」の問題の解決支援
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3402 
★「がん哲学外来」に寄せて
(11) 「死」の問題の解決支援(2)
(12) 「死」の問題の解決支援(3)
(13) 「死」の問題の解決支援(4)
 = 縁起、因果の否定 =部派仏教の批判
(14)四諦八正道では、この世俗の現実社会で働かずに涅槃にはいる
(1)四諦八正道・ビパッサナー瞑想の最終目標「涅槃」
(15)四諦八正道では、この世俗の現実社会で働かずに涅槃にはいる
(2)「灰身滅智」「滅尽定」
(16)四諦八正道では、この世俗の現実社会で働かずに涅槃にはいる
(3)現代の家族の人間関係や組織の力の発揮のための活用はこれから
★こちらにも大乗仏教から部派仏教の批判の記事
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3053
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3549 
★第3世代の認知行動療法=多くの流派のマインドフルネス心理療法

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3288 
★日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 17:53 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL