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後期西田哲学の実践論は第4世代に [2017年09月10日(Sun)]

第3世代の認知行動療法(14)
後期西田哲学の実践論は第4世代に

 今日は、マインドフルネス精神療法研究会の定例会でした。『後期西田哲学の実践論』の抜き刷りをテキストにしています。 次が、テキストの最後のまとめです。

 「西田の実践論は、こう要約できる。我々の自己の人生の目的は、各人が自己の価値と決めた産業領域で世界を創造する行為的直観で生産行為、すなわちポイエシスを実行しながら、同時に至誠の自己形成、プラクシスを行うことである。

絶対の自己射影点であることを忘れず、自覚的直観の哲学を理解して、行為的直観でポイエシス的社会生産行動をしながら、同時に並行して自己を形成するプラクシスの実践をすることである。すなわち、至誠の実践、己を尽くす実践、特に対象論理的独断を捨てて見て考え行動することである。そうすると絶対無の自覚に至る。さらに創造的自己の自覚をもって、創造的直観的に世界創造と自己形成を継続する。

東洋道徳の根本は至誠にある。自己の都合のよいところに止まらない心である。至誠ということは己を尽くすこと、対象論理的独断に見るのではなく、物を全体との関係において見ること、絶対の立場から見ることである。我々の自己は、いつも絶対に触れている。至誠とは自己が絶対者の自己射影点となることである。それを自覚して実践しゆくことが後期西田哲学の実践論である。」
(「後期西田哲学の実践論」 宗教と哲学研究会 宗教哲学論叢(第一輯)   抜刷 二〇一六年七月、P77−78)

 この論文の抜き刷りを、研究会で配布して、読んでいます。 これを指針として、叡智的自己、人格的自己へのマインドフルネス心理療法の実践をしています。

 実践指針は、一言でいえば「至誠」ですが、少し詳しくいえば「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動する」であると西田博士はいいます。実際には、思い込みが強くて、これの理解と実践がかなり難しいです。毎回、研究会でくりかえし、検討しています。禅でも浄土真宗でも、同じようなことを千回万回、聞法するはずです。すこしづつ自己中心的見方考え方、思い込みがとれていきます。狭い視野狭窄におちていた、限られた情報だけを選択的に抽出していた自分の浅い見方に気づいていきます。だから、今、マインドフルネスを探求している人も、狭く限定しないようにしたほうがいいのです。人間の精神はとても深いのです。社会的行為の時には、自己や他者、組織を傷つけないか「評価判断」しなければならないのです。実際、誠実な人はそうしています。自利、我利を優先させる偏見ある人、 ハラスメントをする人は、自分の行為が悪であることを評価して抑制の判断をすべきなのです。大学を舞台にしてまでも、悪いという意識なくして悪を犯す、 アカデミックハラスメントがあるのです。

 西田哲学によれば、人格的自己が真の自己です。絶対に対象にならない主体です。 普通、生きているかのように見ている自分らしいもの、魂とも言われているものは、対象的に意識されているので、真の自己ではありません。それは意志的自己です。対象的に意識されるので、大栗氏がいわれるように真の自己ではありません。 理論物理学者の大栗氏がいわれるように、自己は科学的研究の対象になりません。それを探 求するのが、日本の自己観察実践です。2千年の歴史で洗練された日本のマインドフルネスです。 感覚、身体動作のマインドフルネスも包括します。 幾層もの自己があります。表層意識、深層意識があります。フランクルもいいました。

 死の恐怖は、対象的に意識される意志的自己の消滅を対象的に思考して恐怖の感情を起こしているのです。

 『後期西田哲学の実践論』は、日本の深いマインドフルネスです。自己の意識現象を深く深く観察していきます。 判断、感覚、思考、意志作用、行為的直観(ここまで宗教ではない)、創造的直観、各段階の独断、を観察していきます。文字の操作(思考、思惟=それは対象論的操作)だけでは無理であり、瞑想(禅定)の実践が必須とされます。

 後期西田哲学の実践論は、第3世代あるいは、第4世代の認知行動療法の公理になりえるのではないでしょうか。対人関係でない場面での感覚の無評価の観察も包括されます。さらに、家庭、職場、ボランティア活動などの場での、マインドフルネス(観察、気づき)まで実践していくことができます。欧米のマインドフルネスでも、リネハンの弁証法的行動療法は、大変深いマインドフルネスになっています。これと、日本のマインドフルネスの比較研究は「マインドフルネス」の発展に寄与するでしょう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2768
★叡智的自己
(この段階については、従来の臨済禅ではあまり言われない。 西田哲学は詳細に記述した。)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3029
★人格的自己
(臨済禅は、この最終的段階を強調する。臨済禅は、 見性、覚り。公案を用いる。)
(私たちは、公案ではできない現代人のためにマインドフルネスSIMT的に新しい方法を開発していけねばならない。パーソナリティ障害、虐待、人格の否定、がん患者の死の恐怖など 活用領域は広い。)

【後期西田哲学の実践論】について
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3227
★西田哲学の実践論

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3226
★西田哲学の実践論ー今生きている現実の世界を足場に

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3582
★後期西田哲学の実践論

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
★後期西田哲学の実践論

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/shuppan/ronsou-1-gaiyou.pdf
★後期西田哲学の実践論
 =概要と冒頭の「はじめに」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3549 
★第3世代の認知行動療法=多くの流派のマインドフルネス心理療法
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
★第3世代の認知行動療法の全体展望

Posted by MF総研/大田 at 22:29 | 深いマインドフルネス | この記事のURL