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(全体展望)第3世代の認知行動療法(9)=自己の階層、違うマインドフルネス [2017年08月24日(Thu)]
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3572

(全体展望)第3世代の認知行動療法
 =自己の階層とマインドフルネス

(編集中)この記事はしばらく、増補、新しいリンク記事を作成など、改訂を重ねていこうと思います。

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 マインドフルネスとは、自己の内面を「観察」することです。仏教では「正念」といいました。 近代の禅でも、覚りを得た後までも「正念相続」というように、禅では常時、自己洞察します。 観察するものは主体ですが、自分意識があり、その意識される自己は、西田哲学によれば、図のように多層構造になっています。西洋哲学には、叡智的自己、人格的自己はないようです。人格的自己は、そのような言葉では言われませんが、大乗仏教、日本の禅、西田哲学にみられます。鈴木大拙、西田哲学の研究者、井筒俊彦も言います。

 観察自己が深いほど、深い苦悩を解決するマインドフルネスになります。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3549
★第3世代の認知行動療法

知的自己

 知的自己の作用は、感覚、思考。知的自己は、感覚や思考を観察。 これはやさしく短期間で習得できる。活用範囲は広い。無評価で五感を観察するのは、この位置であろう。しかし、マインドフルネスは、さらに広く深くある。対人関係の瞬間における五感は、無評価では処理できない。ただちに評価判断し発言行動しなければならない。すなわち、評価判断するマインドフルネスがある。西田哲学では、すべてに通底する心得として「独断を捨てて」という。これなら、無評価で五感を観察することも含まれる。さらに他の多くの意識現象の観察もできる。たとえば、叡智的自己である科学の専門家の学問も独断のない立場であるべきである。ところが、自分の名誉、利益を失わないないように、国家やトップに迎合するような解釈をするならば、その学問は独断であり信用できない。
 西田哲学によれば、知的自己を感覚的自己と思惟的自己とにわけることもあります。

 知的自己(感覚的自己が多い)レベルのマインドフルネスの応用が全世界で、日本でも、すすんでいるようである。 これも有用である。このレベルのマインドフルネスも社会貢献が大きいので、応用研究、理論 的研究がすすむだろう。

意志的自己

 意志的自己の作用は 意志作用。意志的自己は、それにくわえて、価値、行動までの意志作用を観察。認知や行動を価値崩壊的なものにする色眼鏡やフィルターのような独断的な心理、本音(嫌悪、執着、依存、逃避, 独断的な偏見、思想など)も観察し、克服する見方や行動まで習得。習得に1年近くかかる。

 すなわち、「無評価で観察」ではない、もう少し広く深いマインドフルネスである。一人でトレーニングする場面ではなく、現実の社会活動(ポイエシス)においては、無評価ではいけないし、実際、そうしていない。必ず、評価して見て考え行動している。マインドフルネスの科学的学問的研究(あくまでも対象的であるが、対象的でないマインドフルネスも時代が求めている=死の不安、真の自己)は、始まったばかりである。禅はすでに実践されていたように思う(竹村牧男氏の著書による)。マインドフルネス心理学、マインドフルネス実践哲学がおいかけて、言語で表現しようとしていると見える。禅ではないマインドフルネス心理学、哲学もある。SIMTは西田哲学、ACTは、行動分析学、リネハンの弁証法的行動療法は弁証法、MBSRは、何だろう。初期仏教の哲学(四諦八正道=人空法有の哲学)もある。しかし、それは、現実の社会で生産行動をして世界を作っていく自己をめざさなくて、六道輪廻から解脱するための実践である。(⇒ http://blog.canpan.info/jitou/archive/3574

うつ病、 不安症( パニック症 社交不安症 広場恐怖症、)、 PTSD、 過食症、対人関係、 痛み, などの改善がみられる。薬では治りにくい 非定型うつ病も改善がみられる。 こうした支援を通して 自殺予防に貢献できる。 (注1)

叡智的自己

 叡智的自己の作用は、行為的直観。意志作用よりも深い。直接、対象的には行為的直観を観察できない。表現されたノエマの観察で、習得していく。叡智的自己の価値、 専門家を自称する自己の本音(エゴイズム)も観察。 フランクルのロゴセラピーは、このレベルかもしれない。人は 人生(世界)に価値を発見して生きる、虚無、自殺の克服。行為的直観は、別に説明。ここまで叡智的自己(ほとんどすべての各領域の専門家)は自分が選択した狭い領域を対象的に 研究、制作、サービスを提供してゆく。 ある独自の立場、限定された領域なのであるが、それを実現できる 対象的自己に執着しやすい。 言語による対象的仮説の上のことなのに自己の説、制作物を基体化、絶対視する者がある。さらに深いものを理解できず否定する者がいる。似た他の叡智的自己と争う。他のすぐれた人を嫌悪し認めたくない、専門家のエゴイズムである。科学、学問はこの位置である。科学学問にも、その個人の独断がはいりこむ。同じ経典の言葉を見て、各人の独特の見方がはいる。
 多数のビジネスの領域の人間は叡智的自己であるが、個人の地位、名誉、収入を優先してエゴイズムの心理が動き、利用者、顧客、社会を傷つける。エゴイズムの心理を観察しなければならないのであるが、自己中心的に動くものが多い。

 マインドフルネスがブームであるが、 それを推進する専門家は手法の違いや臨床できるか文献研究かなどに細分化されている。スキルは誰でも同じではない。
 歴史的に様々なマインドフルネスがあり、また、現代開発されたマインドフルネス(MBSR,ACTなど)もあるが、自己のものに執着すると、他の否定、他の排除のエゴイズムの行動をする心理が働く。そんなことをすると、他の関係者を傷つけ、社会での貢献を阻害し、潜在的な受益者(問題で苦しむ人)の救済を妨害することになる。

 仏教学も、言葉での仏教説明もここである。誤りではなく、対象的な言語による真理であるが、対象とならない真の自己の立場の実際ではなく、究極の真理ではなく 世俗諦という。対象的な文字で執筆説明するので、対象にならない自己を解明できないので、苦悩する人の実践指導はしない。文字の研究を生き甲斐、価値とする。小乗に似て、他者の救済をしない。小乗(初期仏教である、釈尊ではなく後の部派仏教)は他者を解脱させるほどの救済実践をしないので、大乗仏教から批判された。 このことは、竹村氏の説明をかかげる。
 文字の研究と実践とは違う。 外科医学の外国の人の本を翻訳して文字で書くことと、実際執刀するのとは違うようなものである。 叡智的自己は、対象的に研究する自己がある。二元観である。絶対に対象とならない、すべての人間の共通の人格性を知らない。(注2)
 西田哲学も文字を読んで理解するだけならば、人格的自己になったわけではない。西田幾多郎の孫の嘆きがある。

人格的自己

 人格的自己の作用は、創造的直観。言語以前の絶対に対象にならない人格的自己に至るには、絶対無を体験して最も深い創造的直観でいきる(西田哲学)。実際の真理であり、 勝義諦という(注3)。人格否定、人種差別、男女差別、障害者差別、輪廻、死後の世界、死の悩みなど、叡智的自己では解決できない深い苦悩がある。パーソナリティ障害 リネハンの弁証法的行動療法も,深い自己をいっており、数年を前提とするので、このレベルのマインドフルネスかもしれない。研究者は西田哲学と比較していただきたい。健康な人であっても、数年かかるだろう。
  日本には、このレベルの文化、表現した芸術がある。宗教では、 道元が、このレベルを主張したという哲学者、仏教学者がいる。西田幾多郎もそういう。 西洋でも、 フランクルの一人類教やスタニスワフ・レムの『ソラリス』の海(下記)はこれをいうのではないか研究していく必要がある。すべて文字で説明される宗教だが、根底の自己は共通である、そういう哲学がある。
 自分のこころを観察する、正念、マインドフルネスは、浅い階層から深い階層まである。
 人格的自己の探求は、地位や生まれによる人格否定、男女差別、障害者差別、人種や宗教による差別殺人などの批判、 がん患者のメンタルケア 人格にかかわる苦悩 などに貢献するだろう。多くの人が、 浅い深いマインドフルネス流派が、色々な領域への適用を研究、開発していくだろう。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3639
★スタニスワフ・レム「ソラリス」自己根源の絶対無をえがいたSF

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2614 
★深い問題への貢献
 宗教レベルのマインドフルネスと宗教レベルのマインドフルネスがある。後者でないと真に解決できなくて苦しむ人も多いのだから、否定してはならないでしょう。両者の区別を厳密にして両者とも研究開発していかねばならないだろう。

自己の階層に応じたマインドフルネス=第3世代の認知行動療法

 これらは、みな、薬や外科手術などによらずに、言葉でアドバイスして、実践し、検証しながら行っていくと、認知、行動の変容を起こすので、第3世代の認知行動療法である。 第2世代の認知行動療法が十分でない病気や問題を改善するために新たに開発された。 マインドフルネスには、 多くの階層があるので、多くの流派がある。階層が違うので、深い階層の苦悩、問題には対応するマインドフルネス流派を用いないと、クライアントに迷惑をかける。専門家が「おとり広告」をしてはいけない。 MBSR,MBCTで重いうつ病が治るといってはいけない。期待していたクライアントが絶望する。トラウマとなり、もっと有効なマインドフルネスさえも忌避する本音を形成するおそれがある。支援者は、自分の利益だけを考えてはいけない。そういうことは、大乗仏教が批判した。大乗仏教の己見我利我執の観察、批判はとても鋭い。
 西洋哲学には、行為的直観以下は、少ないようである。日本の西田哲学、禅による。ただ、思想ではなく、人種、国籍、性別などに関係なく人間共通の事実、働きだという( 道元、西田、鈴木、秋月、竹村、井筒など)。

意志的自己レベルのマインドフルネスの社会貢献
 =第4世代の認知行動療法と呼ぶべきか

 欧米のマインドフルネス=MBSR,MBCTは、集中力向上、事務能率向上など、経営者サイドの要求にもマッチして、導入が広まっている。ただ、本人が苦しむような医療領域ではないので、「認知行動療法」というべきかどうか問題もあるだろう。健康保険の適用の問題ではありえない。
 対人場面でない時の感覚や身体動作を無評価で観察するのが、第三世代の認知行動療法であるならば、対人場面や社会的活動場面での感覚、考え、意図的行動まで、何らかの評価基準によって観察して、苦痛や病理の医療的問題を解決支援するマインドフルネスを活用した認知行動療法は、第4世代の認知行動療法か?

 家庭や職場で、本人や家族が苦しむ病理になっている問題解決に貢献できるのであれば、第4世代の「認知行動療法」と呼ぶのにふさわしいかもしれない。そういう領域への研究開発の必要性を、考えている。次の記事を目次としておく。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2583
★意志的自己レベルのマインドフルネスの様々な活用

★そのほかの貢献できる可能性のある領域
 (私がやりたいが、もう高齢となった現在、生命の時間が限られていて乗り出せない。また、その問題の経験がない。その問題で苦しむ家族を持つ人が動いてほしい。現在未来のマインドフルネス瞑想療法士に託します。)

深層意識を扱う宗教・密教

 宗教を知りつくした哲学者井筒俊彦は、この図にない深層意識を教える。叡智的自己と並列した位置にあって、神秘主義や密教、臨死体験などをそこに位置づける。外部にあるものと錯覚したり主張すると精神病と扱われるだろうが、密教など外部に対応物がないことを承知していて、体系を構築する、そういう宗教も多いという。空海は、絶対無を言う(竹村氏)が、しかし、その修される教義はあくまでも、絶対無ではなく、その上に構築された体系である(井筒)。絶対無の上の言語作用で構築されたものである。神秘的な体験を教えるものも、それぞれのトレーニング法によってその世界を見ることができるようになる。あくまでも、深層意識であり、そういう世界や神秘体験などを見る自己があるので、体験の後も対象的自己がある。大乗仏教や禅のいう無我でない。
 ただ、これを活用して、ある種の精神病理や関心事を扱うであろうが、禅ではあつかわない。普通人の意識の対象にならないのだから、マインドフルネス心理療法では扱わないだろう。

マインドフルネスの弊害も研究すべき

 ブームだからといって無批判にどれでもやっていいわけではない。 マインドフルネスには、 危険なこともあるという。どの流派のマインドフルネスをどのような人に提供したいのであるのか。
 マインドフルネスの推進者が、地位、名声、権力、知識を用いて、過大広告的に、効果とミスマッチしたものを提供して、苦悩があり、期待して購入参加してくるクライアントをさらに傷つけたり、誠実な実践者の活動を妨害するという、新しい不実広告、新しいハラスメントが起きるおそれがある。

 次の記事にも、弊害、危険を述べた。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3589 
★マインドフルネスをいうものが誠実な団体を妨害、崩壊させる
 あたらしい「マインドフルネスハラスメント」(マイハラ)である。禅ではこういうことはおこらなかった。浅い瞑想が「科学的」であると「心理学者」が喧伝するので、あらゆる科学者、専門家がマインドフルネスに参加してきて、そのうち、自己のエゴイズムの心理の洞察の浅い者が、従来の地位、権利や名声を悪用して起こる新しい弊害である。

(注1)「うつ。不安障害を治すマインドフルネス」佼成出版社
(注2)「マインドフルネス入門」清流出版、大田健次郎。竹村牧男氏の著作はこれを学的に説明 。最新刊では「般若心経を読みとく」角川ソフィア文庫。

(注3)世俗諦と勝義諦
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3573
竹村牧男「般若心経を読みとく」角川ソフィア文庫、2017

エゴイズムの心理の観察、気づき、抑制

 哲学者や精神科医からは、科学者、専門家にあるエゴイズムの心理に気づき、抑制すべきことが言われている。学問する人もエゴイズムの心理をもちながら、気づいていない。 広い深い視野の世界の立場に立たず、狭い浅い自分の立場に立つからである。
 学問は、仮説であり、絶対の真理ではないのに、学者がさも絶対の真理であるかのように自己の学問、仮説を絶対視する傾向がある。日本人は特に、学者も一般市民も、学問を妄信する傾向が強い(和田秀樹氏=下記の著作)。これらは、その学者の周囲、組織において、学問の自由な発展を妨害することにつながる。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2785 
★浅いマインドフルネスでは深い苦悩は援助できない

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3589 
★マインドフルネス・ハラスメント
 マインドフルネスをいうものが誠実な団体を妨害、崩壊させる

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228 
★専門家を自称する自己の本音(エゴイズム)も観察。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2669 
★学問のよそおいをした「全体主義、画一主義、還元主義」
 これにより一つの立場、定義、真理を採用して押し付ける

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3202 
★ある立場に立つ学問であるのに、真理として押し付ける形
 和田秀樹氏も同様のことをいう。学問はみな仮説である。あとで覆る。それが学問の進展。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3103
★科学はある立場にたつのであって世界の立場、絶対の真理ではない(西田哲学)
 仏教や禅の学問は、はじめから「ある立場」に立って、 それに都合のよい言葉を抽出して論文を書いた学説、書籍がある。 経典や語録の文章は膨大なので、自己都合によい論文を書くことが可能なのである。 科学、学問は絶対の真実ではないということは、仏教や禅の学問にもみられる。
マインドフルネスの「科学」?「学問」?にも、同様のことが起きる(すでに、起きている?)かもしれない。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2370 
★個人を抑圧する組織の構図(粟野菊雄医師)
 和田秀樹氏も同様の構図をいう

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228 
★専門家のエゴイズム

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3491 
★組織が個人を抑圧(西谷啓治) 学的組織も

【仮説を多数派、組織的におしつけて個人の自由な創意を抑圧する】
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3669
★「学者は平気でウソをつく」(和田秀樹、新潮社)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
★「見て見ぬふりをする社会」(マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3577
★学問にエゴイズムがあるなら、ジャーナリズムによる批判が期待できないか

(まもなく紹介)
★「個人を幸福にしない組織」(太田馨、新潮社)

★「寺よ、変われ」(高橋卓志、岩波書店)
★「枠を壊して自分を生きる」(石黒浩、三笠書房)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2344 
★社会悪と個人悪
 −団体の方針を押し付けて構成員個人の自由を束縛
 −個人の私欲(*)から団体の利益をそこない倒産させる

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3658
★SF小説『ソラリス』でも、エゴイズムを描く

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3781
★カミュの「ペスト」も全体主義、画一主義、還元主義の独裁、迎合する多数派を批判

(編集中)この記事はしばらく、増補、新しいリンク記事を作成など、改訂を重ねていこうと思います。

★(目次) 第3世代の認知行動療法



★マインドフルネの 水平展開と垂直展開

★認知療法から第3世代の認知行動療法へ

★学問のよそおいで、狭く限定する
★フランクルの教育論
 学問における全体主義、画一主義、還元主義

だからマインドフルネスもMBSRに限定してはいけない
 =多くの社会問題にはもっと広く深いマインドフルネスが必要

★日本のマインドフルネスの再興を
★人格的自己のマインドフルネスへ
★マインドフルネスには哲学がつきもの
★<目次>鈴木大拙の日本的霊性はだめか
Posted by MF総研/大田 at 14:41 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL