あなたの組織には言論、学問の自由がありますか
[2017年05月27日(Sat)]
あなたの組織には言論、学問の自由がありますか(2)専門家のエゴイズム、パワーハラスメント科学、学問、専門技術、というのは、世界や人間の全体事実(井筒俊彦の無分節、多分ジョン・カバット・ジンの「全体性」)のうちから、ある一面だけを切り取って、 対象的に論じています。それぞれの領域に、そこにだけ詳しい専門家が無数にいます。世界全体、人間全体、自己全体を知っているわけではありません。それは人間であれば、不可能です。 しかし、ある分野(だけなのに)で、名をあげると、偉くなった気になって、エゴイズムの行動をする人間が現れます。ある狭い領域で得た地位、権力、金力をたてにして、専門でない領域に参加してきて、そこで長くたずさわってきていた人を否定したり排除しようとします。一種のパワーハラスメントです。その地位、権力、金力のおこぼれにあずかろうとして、迎合するエゴイスト者もいます。そうして、誠実な人がおいだされるか、活躍できなくします。こうした人間を西田哲学では、叡智的自己のエゴイズムとして問題にします。 ある領域での専門家でも、謙虚、至誠でなければならないというのが、日本人の美徳でした。至誠の実践でした。 もちろん、一部ですが多数です。そうではない人も多数おられます。 河井寛次郎(陶芸)、東山魁夷(日本画)、神谷美恵子(精神科医)、金子みすゞ(詩人)、宮沢賢治(童話作家)などは、そうしたエゴイスト者とは反対の「至誠の人」でしょう。 しかし、エゴイズムの専門家になってしまう人もいます。 専門家のエゴイズムとして、ここで述べました。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2228 ある領域の専門家になると、なぜ、エゴイスト者になるのか、西田哲学が論じており、板橋勇仁氏が説明しています。 特に、これです。 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2221 ある(狭い)領域で成功すると、自己を基体化する。おごる。 一例を考えます。他の領域には、それぞれ専門家がいるのに、その領域にまで口を出したり(言論の自由ですが)、おごりがひどいと、専門外のことまで発言して、それを専門にしてきた誠実な人をあやまりだとさばく発言をする。小さなことで、全面否定する。 科学、学問、技術など、細分化していて、それなりに専門家が人生をかけて研究、実践、実用化の努力をしてきたものです。 そうであるのに、ある学問領域や技術(A)で名をあげただけなのに、趣味か何かのことで、 他の領域(B)にはいりこむ機会がある。その時に、専門領域(A)での名声や権力をたてに、 新しく関与した領域(B)で長くやっていた人の業績を否定するような発言をする。 つまり、領域(B)でも、重要な地位にいたい、偉いと思われたい、収入を得たい、などの我利我執が働く。 む しろ、その領域(B)の専門家から見れば、否定した非専門家のほうが誤っている。しかし、よく知らない人達は、迷う。 これは、専門家の驕り、過ちの一例です。専門外の他の領域のことでは、その道の専門家を否定しないでいるのが、誠実な人でしょう。 自分の知らない世界、自己が無尽蔵にある。 みんな、それぞれが人生をかけて社会のためになろうとしている。それなのに、ほんの狭い領域で名を挙げた人が、他の領域の専門家を否定するような、おろかなことをする。 「みんな違ってみんないい」のだ! あなただけがいいのではない! https://blog.canpan.info/jitou/archive/3540 あなたの組織には言論、学問の自由がありますか(1) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3541 あなたの組織には言論、学問の自由がありますか(2) https://blog.canpan.info/jitou/archive/3674 自由のない日本の組織 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3577 メディアには自由があるか https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461 見て見ぬふりする社会 ★<目次>日本的霊性はだめか (続く) |