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(115)クオリテイ・オブ・デス=「死の質」 [2016年08月12日(Fri)]

(115)クオリテイ・オブ・デス=「死の質」

 7月26日、BS テレビ8チャンネルの「がん哲学外来」についてみています。終盤にはいって、がん哲学外来の核心にはいってきたと思います。 やはり、日本人らしい「至誠」の実践が出てきました。
 樋野さんと石飛さんが司会者(アナウンサー)の問いに答えていきます。 クオリテイ・オブ・デス=「死の質」とは何かが説明されます。西田哲学でいう「プラクシス」(自己の形成、至誠の自己を作る)であると思いました。・・・・これが、日本人なのでしょう。ところが、戦後、教えなくなってしまったといいます。

人間は最後の5年間が勝負

 樋野さんは
 「人間は最後の5年間が勝負」
 「病気であっても病人ではない」という。

 樋野さんの言葉です。
 「最後の5年間がどういう生活であったかは、残された人間から見ればプレゼントになる。」

 「勇ましく高尚な生涯、こfれが人生の目的」
 「誰でもできます。日々勉強です」
    (これは、西田幾多郎博士が、日本人は「至誠」を実践してきたといいのと通じます。)
 どういうことかというと、樋野さん・・・
 「自分に与えられた」役割がある。あたえられた性格を完成させる。善い性格になって去っていく。それが最後の5年間です。」
    (これを聞いて、私は西田哲学のプラクシスを思いだす。エゴイズムの自己を至誠の自己にする。本来そうである(無我)のに、それを実現させる。これは古来の禅や西田哲学による解釈ですが、樋野さんのと似ている。それがキリスト教的であろうとも、日本化したキリスト教かもしれません。内村鑑三にみられます。日本の人はキリスト教も日本的なものにした。遠藤周作もそう。
     しかし、なお、決定的な違いがあるかもしれません。日本人や(自他不二的」です。他は絶対(仏、世界、絶対的一者,絶対無)も含みます。次へ。)


(続く)
「がん哲学外来」に寄せて ⇒目次

【目次】日本のマインドフルネスの再興を

Posted by MF総研/大田 at 19:10 | がん・ターミナルケア | この記事のURL