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(110)対象的心理の奥に対象とならない超越 [2016年08月02日(Tue)]

(110)対象的心理の奥に対象とならない超越

 =「がん哲学外来」に寄せて(5)
  =意味、価値発見の支援が最終ではない,

 ヴィクトール・E・フランクルの人間存在の哲学は、日本の西田哲学と似ています。 自分とは何か、見るとか考えるとかさまざまな作用が対象を作り出すので、自己存在そのものは、作用の内奥にあります。その対象とならない自己存在が「実存」です。 実存、自分は価値を発見して生きるものです。
 その奥に絶対を見る、フランクルの書では「超越」と訳されています。

人間が何とか行ける内在の部屋

 フランクルによれば、内奥の自己存在は幾層かに分かれており、全体を「内在の部屋」と呼びます。従来の心理学は、表面の心理現象(海面の波のよう)だけを扱っていて、それを起す「実存」をあつか っていないから「内在の部屋」は、普通には見えない「海中」のようです。そ の海中が、何層かある。浅い海中が、西田哲学でいえば、意志的自己(の部屋) ですが、「深海」が叡智的自己(の部屋)に似ています。人間が行けるのは、ここまでです。最も奥が「良心」だといいます(下記参考書155頁)。西田哲学の「意的叡智的自己」に相当し、西田も「良心」といっています。浅い海中は、「情的叡智的自己」や「行為的自己」に該当するでしょう。
 フランクルによれば、ここまでが「内在」です。

精神療法、医師の支援は内在の部屋まで

 宗教を持たない医師が支援できるのは、内在までです。意味、価値を見つける支援までです。ロゴセラピーが最終的支援ではなくて、もっと深い支援があるというのです。

 「実存分析が課題にしなければならないのは、いわば内在の部屋を整えること、ただ し超越への扉を塞がないようにそれを整えることです。宗教精神がそこを通ることがで きるように、あるいは、宗教的な人びとが、あらゆる真の宗教性の特徴である自発性を もってそこから出て行くことができるように、扉はいつも開かれていなければなりませ ん。それゆえ、実存分析は決して人間の究極的な意味発見の終着駅ではありません。と いうのは、実存分析は最終的な答え、少なくとも宗教の観点から見て最終的な答えを与 えるわけではないからです。しかし、実存分析は、その人が宗教的であるか否かにかか わらず、ある駅まで、つまり、そこから終着駅まで《直通する接続》を容易に見つける ことができるような駅まで導くことはできます。実存分析の道程の目的地は確実に宗教 性に至る《路線の上に》あるのです。」(フランクル『意味への意志』春秋社,108-109頁)

 医師は患者が宗教の扉に入ることを否定してはいけません。がん病棟に、超越を扱う支援者がはいることを許可してほしいものです。それを必要とする患者もおられるでしょう。
 西田哲学の言葉で言えば、がん患者さん、難治性の病気、死の問題かかえた人の心の援助には、意志的自己レベル、叡智的自己レベル(ここまで宗教性がない)、さらに超越、絶対、宗教レベルの人格的自己への支援があることになります。日本はとても遅れています。これからも、医師は忙しいので、医師には無理であろうと樋野先生は言っておられました。たいていの医師は、こういう領域には「意味」「価値」を持たない、身体の病気を治すことに価値を持ち、心のケアに割く時間を持てない。そこで他の人材が行うことになるのです。

「がん哲学外来」に寄せて ⇒目次

【目次】日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 18:42 | がん・ターミナルケア | この記事のURL