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(106)「がん哲学外来」に寄せて [2016年07月28日(Thu)]

(106)「がん哲学外来」に寄せて

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 26日に、BSテレビ、8チャンネルで「がん哲学外来」の紹介がありました。 今の医療が提供していないから、できないから、誰かほかの人がやらなければいけないという発言でした。順天堂大学医学部教授、樋野興夫さんがすすめている。

 「暇だからできる」という。わかる。忙しい医師には、哲学的なことを学習し、哲学的な支援をする時間はとれない。
 樋野先生には「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」という著書がある。

 カウンセリングでは、「どんな境遇でも必ず人間には役割と使命が与えられているから、その役割・使命を見出していく」とアドバイスする。1年かけて見つけていく。

 樋野先生の背景には、当然何かの「哲学」が背景にあってのこと。これは、ヴィクトール・E・フランクルのロゴセラピーと類似する。西田哲学のポイエシスとプラクシスの哲学に通じる。なぜ、役割や使命をいうのか。西田哲学は、これを論理的に哲学として説明している。キリスト教の哲学、禅の哲学、西田哲学、フランクルの哲学などから言える。

 樋野先生は「1年くらいさがしにいく」のがいいという。大体、仕事や家庭をもっているのだが、これが使命や役割という気持ちをもっていない。1年かけて、この哲学を理解するのだ。あるいは、これまでの仕事とは別な役割を見出すこともあるだろう。たとえば、「がん哲学カフェ」を行うこと、のような。

 「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」これができるひとはこれをする。
 いよいよ末期になると「明日この世を去る」という気がするが、もう「今日の花に水をあげることもできない」ようになった時、どうするか。水をあげるのは、社会的行動、ポイエシスである。ポイエシスらしいことができそうもなくても、最後までプラクシス、人間の役割をこなすことがある。最後まで、人間には成長できることがある。
 「がん哲学外来」のようなことが求められている。医師でなくても、「がん西田哲学」=「がんSIMT哲学」もすすめたい。自分の命は自分のものではない。すべての人間に2つの役割が与えられていると西田哲学はいう。最後の瞬間まで、2つの役割が与えられている。

 がんの人には、3つの段階のマインドフルネス自己洞察瞑想療法(SIMT)をすすめられる。意志的自己、叡智的自己、人格的自己である。一風違った「がん哲学カフェ」になると思います。

【目次】「がん哲学外来」に寄せて
(12)死の問題のマインドフルネスには日本人が得意
(11)死に近い人の魂の救済はやはり2種あるかもしれない
(10)クオリテイ・オブ・デス=「死の質」
(9手術が終わった時から始まる医師による心の癒し)
(8)がん哲学外来は心理の専門家でない人も支援できる
(7)価値と意味は違う
(6)意味、価値発見の支援はあ医師役割、その先は宗教者の役割 (5)対象的心理の奥に対象とならない超越
  =意味、価値発見の支援が最終ではない

(4) 宗教的なことが精神衛生上大きな意義がある
(3)従来の医療、宗教、教育、哲学、心理は提供していないが、総合すれば新しいケアを発明できる可能性が
(2)がんからも自由に生きたい
 =対象的なものからの自由、対象とならない自分、生命への自由

(1)がんになったら1年かけて役割、使命をさがす

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★がん哲学外来によせて
 日本人らしい死生観の哲学も

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2764 
★がん患者の死の不安

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★がん患者の心のケア、スピリチャルケア、うつ、自殺予防

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★病院に入院中のがん患者の自殺防止


【目次】日本のマインドフルネスの再興を
Posted by MF総研/大田 at 21:02 | がん・ターミナルケア | この記事のURL