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マインドフルネス瞑想療法士育成講座 第9回 [2016年02月20日(Sat)]
6月から機関誌『マインドフルネス精神療法』は
医学関係情報を収集、配信する
「メディカルオンライン」
から要約を見たり必要な論文全体を閲覧(有料でPDF配布)できるようになります。その準備をすすめています。
ペーパー版での購読をご希望の方は、 日本マインドフルネス精神療法協会から配送いたします。

マインドフルネス瞑想療法士育成講座 第9回

 今日は、講座の9回目でした。こちらの研究がすすみ、新しいテキストも開発するので、内容が毎年、変化します。
 今期9回目のメインテーマはマインドフルネスの哲学の再確認

主なテキストは2つ(日本マインドフルネス精神療法協会私版本)
★「西田哲学の場所の論理と自己の階層」
★「西田博士から託された課題―西田哲学の実践化」

 場所的論理の考え方と自己の階層
     西田哲学の実践のプロセスは、知的、意志的、叡智的、人格的と深まっていく。叡智的自己が至誠の実践をしていると、絶対無の体験に至る(大乗仏教で無生法忍、禅で見性、浄土真宗で回心というもの)。そして、人格的自己の自覚をもって世界創造のために働いていく。
    叡智的自己、人格的自己の自己形成作用である行為的直観、自覚的直観は意志作用を越えた奥にあるので、意識ではそのノエシス(作用)が把握できず、意識上に表現されたノエマだけが見られる。叡智的自己でさも宗教的でないのに、わかりにくく、多くの質問が出た。そして、絶対無を基礎にした人格的自己も。叡智的自己は絶対無の自覚がなく、自分をおごりやすい。これを防ぐのは絶対無の哲学をしることと、至誠の実践である。
 =マインドフルネス(仏教)の哲学は歴史的に大きな変化
    ⇒インド仏教哲学は自己の無我はいうがダルマを実体視。
    実践の目標、方向が違ってくる。社会創造がなく大乗仏教から批判された。
  =大乗仏教はダルマも空とした。煩悩を廃絶しなくても、悟ることができる。無我を体験する悟りにあたる体験を無生法忍とよんだ。修行段階の第7位であり、その後、社会の中での応用が続く(釈尊が成道の後、説き続けたように)。西田哲学の世界創造に該当する。しかし、大乗仏教の無生法忍に導く実践法が失われた。
  =中国禅、日本禅と西田哲学の違い。
 禅の方法は出家的。時代、対象が違う。一般の人の悟道の後の、社会での実践が目立たない。自己の境涯を練り続け世界創造的に各種領域での実践に訴える傾向が弱い。西田博士の意向は以上であろう。
 西田哲学と鈴木大拙の禅学は、車の両輪のようである。鈴木は、歴史的にあった金剛経の中に「即非の論理」があること、禅や浄土真宗の真意を明らかにした。これを西田は場所の論理で説明した。

 ただし、昭和の時代の仏教のありさまを西田博士は批判した。大切なものが失われたと。西田博士は従来の宗教の方法や論理(現代人をプラクシス実践に駆り立てるに足る論理がないこと)をみな批判している。深い絶対無の体験があることをは認めるが(下記注)。
 西田哲学の実践はすべての人の普通の家庭生活、職業生活遂行(ポイエシス)の中で、同時に(現在進行形で)行為的直観を実践しながら自己形成の実践(プラクシス)をして、絶対無に至り、自覚的直観、創造的直観として、その位置から社会創造の遂行(ポイエシス)していく。そのポイエシスは、大小高下ではない。家庭、職を離れた場でのプラクシスではない。ポイエシスとプラクシスが一つであるという。人間形成の哲学、家族の哲学、各種社会実践の哲学がある。
 =SIMTの背景にある哲学が西田哲学
 マインドフルネス心理療法としての、自己形成作用(SIMT)は、こうした西田哲学を活用したもの。『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』(佼成出版社)は、意志的自己のレベルである。対象的である。無我ではない。しかし、うつ病、不安症/不安障害、過食症などに効果が見られた。
 叡智的自己、人格的自己のマインドフルネスは、2つの研究会で参加者と試験中である。叡智的自己、人格的自己の哲学を学びつつ、その実践をしていく。実践法を、いずれ、体系化、できれば定型化したい。できるかどうかわからない。西田博士が後世に託した課題の一つになる。野球には、野球というポイエシスをしながら、人間形成の哲学があるという。すべての専門家が人間形成の哲学を持つのがいい。教育の中で、それを持ったのが、片岡仁志であったと思う。世阿弥、千利休、松尾芭蕉、宮沢賢治、金子みすゞ、河井寛次郎,東山魁夷、神谷美恵子、森田正馬、高橋新吉、西田幾多郎、西谷啓治、鈴木大拙などに、それぞれの業績(ポイエシス)の内面で、人間形成の哲学があったと思う。日本的霊性、日本的マインドフルネスといってよい。

 ☆セッション9の指導要領
 セッション9は少し、叡智的自己の見方を含めた。叡智的自己の入口でもある。

(注)現代人(西田博士が生きた当時から現代まで)が納得できるように論理的に、根源の自己(と世界)についての哲学を述べないので、面子を重視する専門家が悟り体験と根源的絶対的一者を否定する者まで出る始末である。仏教、禅などの実践も学問(?)も軽くみられて一般人から遠ざけてしまう。
 第10回は、西田哲学の実践論を主なテーマにする予定です。読んでわかりにくい西田哲学。実践的に読む。以前、講座に出席なさった方は聴講できます。ご連絡ください(教室の収容定員があり5名様まで)
Posted by MF総研/大田 at 21:14 | 私たちの心理療法 | この記事のURL