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(35)西田哲学は従来の宗教を批判 [2015年10月25日(Sun)]
「マインドフルネス瞑想療法士」への移行プログラム(2017年3月まで限定)
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西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏

(35)西田哲学は従来の宗教を批判

 =新しい生き方を提案した
 =未だに実現されていない

 マインドフルネスには、さまざまなものがあります。 アメリカ的禅、東南アジア系仏教、行動分析学などを応用したものがあります。ヨーガ、武道、芸術なども「マインドフルネス」であるといいます。 しかし、日本の禅(道元禅、公案禅)はあまり参考にされていません。

 マインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想療法)は、 西田哲学を参照しています。 SIMTは、瞑想、呼吸法そのものが目的ではありません。

価値実現の行動(*)によって、世界(社会)を創造していくことが
同時に
自己自身の成長、自己実現、自己形成 であるような実践をめざすことです。

 常に、この2つが進行していることがSIMTのありかたです。

 いつでも(どのような行動時であっても)、どこでも、自己洞察の機会です。

外向きには、意志的行動(西田哲学では「ポイエシス」(制作、世界創造)といいます)が進行します。
 並行して、
内面で、自己洞察(西田哲学では「プラクシス」(実践、内面の自己自身の形成といいます)が進行しています。

 プラクシスの実践が至誠です (⇒こちら)。これが価値実現の行動のすべての時に、背後で並行して実践されているべきだと西田は考えています。だから、すべてのマインドフルネスの理論になるはずです。この方向に近づく実践が「世俗的マインドフルネス」「社会的マインドフルネス」と言えます。

いつも、この2つの側面を忘れないようにしています。

 SIMTは、ポイエシス即プラクシスを応用して、 「行動時自己洞察」といいます。

行動=自分の価値実現の行動(家族のため、仕事、遊びなど)=世界(社会)形成=創造
その時、並行して
自己洞察=内面を洞察し自己自身の成長、自己自身の形成。

社会的行動の中で、同時に実践すべきものです。 行動時自己洞察であるべきです。 これが西田哲学です。
 従来の仏教の修行方法は、出家向きですから家族も社会的職務もを持たない人が、大寺院の中で、 社会創造を重視せずに、後者の自己形成だけを共通の目標にしているとみなすことができます。
 だから、後者だけを重視した従来の宗教の方法を西田幾多郎は批判しているのです。出家向きの目標、理論(思想)、方法になっているからです。 マインドフルネスには、宗教の実践を参考にしたものもありますが、方法は参考にしても、目的、哲学、実践は、家族と仕事を持つ人のために現代社会向きにする必要があります。

 日本的なマインドフルネスを開発していく必要があります。 西田哲学的なマインドフルネスが効果的でありそうな 課題が日本には山積しています。そして、完成すれば、世界に発信できそうな深く広いマインドフルネスになるでしょう。 日本的マインドフルネスの構築に多勢の力が必要です。

 なぜ、西田哲学にように実践するのがいいかというと、西田によれば、 自己の真相だからです。また、禅、キリスト教なども説明できるといいます。「マインドフルネス」も説明がつきます。 自己と絶対者が一つであるということから、多くの悩みが解決するというのです。活用範囲が相当広いでしょう。

(*注1)
 意志的行動というのは、意志的自己の価値実現の行動ですが、叡智的自己、人格的自己の価値実現の行動は、行為的直観(狭義)、自覚的直観による世界創造行為になります。社会向けの行動の背面で、同時に、プラクシスが進行します。すべての行為が行為的直観(広義)です。だから、見るところから、プラクシスがあります。すべて、見る、考える、働くのすべてにプラクシスがあります。肝心なことは瞑想ではなく、社会(世界)創造と同時のプラクシスです。坐禅や瞑想のみを重視する集団(種)のものではありません。すべての人間(類)のものです。それが西田哲学です。

(*注2)
 人は、個人的に複数の価値を持ちます。仕事でなくても、大きないきがいになっていること、仕事では、直接の収入を得る組織、それを包括する同業者組合、関連事業全体、・・、多数の特殊世界がある。「種」という。仕事と関係のうすい、家族、趣味のグループもある。それぞれの価値の場所を自己実現の世界としている。特殊世界、種的基体である。瞬間瞬間、ダイナミックに移動しなければならない。そして、それぞれの世界で、個人的自己は、ポイエシス即プラクシスとして行為的直観的に見て、考え、行動しなければならない。西田は、種と世界と個人の問題として説明している。種は各種の集団、組織、グループである。互いが世界になろうとして争う。独断、エゴイズムが本質的であるが、それを否定するのはプラクシス、至誠の実践である。種の中の道徳、命令はどこまでもその種の自我、独断の立場である。絶対者の立場ではない。個人の真のプラクシスは、どの世界であっても種を超えて、主観的自我の絶対否定の立場からである(旧全集10巻175頁など)。すべての個人はいつも根底で絶対者に触れていて、いつも絶対の立場からの至誠を求められている。

(語句)
★SIMT:Self Insight Meditation Technology/Therapy。日本的マインドフルネス。大田健次郎 (2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社、大田健次郎(2014)『マインドフル ネス 入門』清流出版。
★学問的マインドフルネス⇒この記事
★社会的マインドフルネス⇒この記事
★世俗的マインドフルネス⇒この記事
★宗教的マインドフルネス⇒この記事
 =それぞれの教団によって、哲学とマインドフルネスの方法が違う

★「人格的自己への原体験」「人格的自己的体験」
「人格的自己の基礎となる直覚的体験」「自覚的直観、創造的直観の基礎となる体験」、仏教 では無生法忍、見性、回心などと呼ばれた。
【目次】西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏


参考

★(目次)NHK E テレビ、こころの時代「日本仏 教のあゆみ」
 ある特定の集団の立場に立たないで、根源的な人間のありのままの立場から学問をしようと する例のようです。

★(目次)道元禅師のマインドフルネス
★(目次)人格的自己の「マインドフルネス」へ
★(目次)さまざまなマインドフルネス
★(目次)最も深いマインドフルネスの実践の哲学
★(目次)昔から日本にあったマインドフルネス

★(目次)人格とは何か
★専門家は独断におちいりやすい
 =人格的自己でなくある目的、立場の専門家としての叡智的自己だから

★自覚的直観、創造的直観
Posted by MF総研/大田 at 10:18 | 深いマインドフルネス | この記事のURL