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(30)根底に対象とならない場所をもち、世界と自己の成立のところ [2015年10月10日(Sat)]

西田哲学からみる科学学問、そして哲学(30)
 〜マインドフルネスSIMTと表裏

(30)根底に対象とならない場所をもち、世界と自己の成立のところ

 西田哲学によれば、人は、自己というものを多層的に考えている。 判断的自己、知的自己、意志的自己、叡智的自己、人格的自己である。 ふつうの人は、意志的自己までしかしらない。しかし、もっと深い自己があり、人格的自己が真の自己であるという。 昔から、日本人はこれを探求してきた。鈴木大拙が「日本的霊性」といったものである。
 人格については、こちらに述べた。
    人格とは何か
     =日本人が昔から自覚してきたが、昭和のころから見失しなわれた最も深い自己、人格的自己
 すべての人は根底に絶対者、対象的にならない世界、すべてを包む場所的なもの、絶対者、神を持つ。我々は、その絶対者(=世界)の一表現点、一観点として世界を創造していくものとして自覚される(旧全集10巻480頁など)。
 この人格的自己からは、世界は自己に対立するものではない。 根底の場所であり、絶対に対象とならず、対象として意識されるもののすべてがここから成立する。自己は根底の絶対者の表現の点であると自覚するのが人格的自己である。自分の見るもの、聞くもの、行為のすべてが絶対者のものとなる。
 西田の最後の論文でこういう。
    「内と外との矛盾的自己同一的に、どこまでも自己において世界を表現するとともに、世界の 一焦点として自己自身を限定するところに、すなわち創造的なるところに、自由なるとともに内 的に必然的なる、我々の人格的自己があるのである。絶対的無にして、しかも自己自身を限 定する絶対矛盾的自己同一的世界においてのみ、我々の人格的自己というものが成立する のである。絶対矛盾的自己同一的世界は、自己否定的に、どこまでも自己において自己を表 現するとともに、否定の否定として自己肯定的に、どこまでも自己において自己自身を形成す る、すなわち創造的である。かかる場合、私はしばしば世界という語を用いる。しかし、それは 通常、人が世界という語によって考えるごとき、我々の自己に対立する世界を意味するのでは ない。絶対の場所的有を表現わそうとするにほかならない、故にそれは絶対者といってもよい( 数学を論じた時、それを矛盾的自己同一体ともいった)。矛盾的自己同一的世界が自己の中 に自己を表現し、自己自身を表現することによって自己自身を形成して行く。かかる絶対者 の自己表現が、宗教的に神の啓示と考えられるものであり、かかる自己形成が宗教的に神の 意志と考えられるものである。」 (『場所的論理と宗教的世界観』旧全集11巻402-403頁)
 すべてのひとが、こういう根底をもつ。自覚がなくても、瞬間瞬間この根底の世界をとおってきたものを見ている。体験的にこの根底の世界を自覚したものにとって、すべてのことが根底の絶対者の表現となる。自己のことが絶対者のこととなる。自己は絶対者の世界に包まれている。
 この引用文の最後近くは、西田の聖書解釈である。聖書の神も、西田は日本人が仏としたものと同じ位置にあるものであると解釈している。神を外に、二元観的にはみない。西田は、キリスト教にも新しい解釈を期待していた。 
 我々の自己は、奥底の絶対者、神、仏の場所に住み、生きているのである。 これを体験的に知るのが、仏教(禅や真宗など)の各派の教えであった。 西洋は、二元観であり、自己と世界が対立しており、自己と絶対者(神)が分かれている。しかし、日本は、自己と世界が一つであり、自己と絶対者が一つである。根底で場所的に。このことを上記の西田の文章は語っている。
(語句)
★SIMT:Self Insight Meditation Technology/Therapy。日本的マインドフルネス。大田健次郎 (2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社、大田健次郎(2014)『マインドフルネス 入門』清流出版。
★学問的マインドフルネス⇒この記事
★社会的マインドフルネス⇒この記事
★世俗的マインドフルネス⇒この記事
★宗教的マインドフルネス⇒この記事
 =それぞれの教団によって、哲学とマインドフルネスの方法が違う


【目次】西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏


参考

★(目次)NHK E テレビ、こころの時代「日本仏教のあゆみ」
 ある特定の集団の立場に立たないで、根源的な人間のありのままの立場から学問をしようとする例のようです。

★(目次)道元禅師のマインドフルネス
★(目次)人格的自己の「マインドフルネス」へ
★(目次)さまざまなマインドフルネス
★(目次)最も深いマインドフルネスの実践の哲学
★(目次)昔から日本にあったマインドフルネス

★(目次)人格とは何か
★専門家は独断におちいりやすい
 =人格的自己でなくある目的、立場の専門家としての叡智的自己だから
Posted by MF総研/大田 at 15:34 | 深いマインドフルネス | この記事のURL