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(1)最も深いマインドフルネスの実践の哲学 [2015年06月11日(Thu)]

最も深いマインドフルネスの実践の哲学(1)

 =(1)これからの2年で取り組むことの一つ

 =西田哲学でいう実践を明らかにすること
 =それは、現存した禅よりも厳しい要求

 「自分とは何か」ということは重大な哲学的問題である。 これを徹底しないと、自己に迷い、うつ病になったり、がんと告知された時に、死、自己の消滅に 苦しむ可能性がある。 死んだら極楽や天国に行けるからもう満足だという人はそれでいい。 しかし、西田幾多郎は満足できなかった。
 西田幾多郎は、自己を徹底的に探求した。そして、人は、重層的に自己を自覚しているという。 判断的自己、知的自己、意志的自己、叡智的自己、人格的自己などがある。
 多くの人が、だいたい意志的自己、叡智的自己程度であるが、その哲学の自覚がなく、その哲学 の生活実践をしていない。だから、大きな出来事があると、うつ病になったり、家族にあたったり犯 罪を犯したりする。たいていの人が、よく説明すると、知的自己、意志的自己を真の自己と思い、魂と思ってい る。死んだら、これが消滅すると思う人と、これが、極楽天国にいくと思う。

 ところが、西田幾多郎は違うという。自分のことの悩み、戦争が深くなっていく情勢、家族の死に直面した 西田幾多郎は、通俗的な仏教、哲学などに満足できなかった。哲学的な探求を深めて、自己はも っと深いものがあり、叡智的自己、人格的自己(絶対に基礎づけられる)があるとした。
 私は、この西田哲学に納得できる。そのために、西田哲学を生きていく上での生活指針にしてい くことを提案している。というのも、複雑であるが、 エゴイズムを捨てる生活実践があるので、文字の学問とは違うのである。エゴイズムを探求しない宗教実践とは違うのである。 仏教や禅(他の宗派も)などの宗教者、研究者、 そして、哲学者までもが、この自己の問題を徹底的に探求していないように思われるからである。 そこには、徹底的に取り組まずして、自分の独断的な宗教理解、哲学理解がみられるようである。避けることのできない自己保身なのである。わからないことがあると不安になるから、探求をやめて落ち着かせるのである。未熟と思われたくないという専門家のエゴイズムの場合もある。確信犯と過失犯がある。自分の価値観、立場で他者を否定する。人格まで否定する人もいる。これを西田哲学は指摘しており、板橋勇仁氏が浮き彫りにした。西田哲学の真意が最近、明らかにされてきた。

 禅には深い自己洞察があるが、集団内のごく少数者のみの間で継承されていて、西田哲学でいう世界創造の場面に充分活かされていない、大乗仏教でいう無縁の人に慈悲の支援実践をしていない。西田哲学は、現存した禅よりも厳しい社会的実践を要求している。

 西田幾多郎がいう、宗教の捏造(以下に引用)である。過失やエゴイズムによって起きる。それがあると、真剣な実践がなくなる。生活 上に宗教や哲学、実践がなくなる。現在の仏教が国民から見放されているのも、そこにあるのだろ う。真剣に自己存在に悩む人に、宗教者、宗教学者、哲学者が教えてくれない。自分自身が、自 己とは何かということにとりくまずに、経典、論書、哲学書を解釈する。自分なりの立場と理解力程 度で解釈した研究論文や著書を著し、講義講習する。本来の釈尊、開祖などの真意を解明してお らず、自己でこしらえた宗教(解釈)の捏造が起きるのである。自分の魂の底から揺り動かす感動を 得ず、つまらないから、自分でも実践しない。当然、教えられた人も実践しない。こういうことが起きる人間のエゴイズムの構造をも、西田哲学は論理的に説明している。徹底的に唯一・一度的存在の自己にならず、所属する組織の立場を重視するのである。また、自分の経験したことだけで判断して最善だと思うのである。そうしないと専門家の立場がない。そうして広い世界の立場でない。個的人格に至誠でないのである。西田哲学は厳しい。
 宗教者でもない、学者でもない、哲学者でもない、一般人だから立場がないから、専門家に真実を教えてくださいと言える。

宗教を捏造する宗教者・研究者、そしてそれを信奉する推進者

 西田はこういう。
     「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。哲学 者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。それには、先ず自己に、ある程度にまで宗教 心というものを理解していなければならない。真の体験は宗教家の事である。」(1)
 自己とは何かを知る宗教的な実践があり、それによってしか知られない事実がある。 体験は宗教家の事で、それを説明するのは哲学者である。
 西田がいうのは、ただ、悟ればそれでいいというのではない。悟って終わりなら、社会への貢献がない。狭い集団内だけのサービスではないはず。創造的世界の創造的要素となって、世界のために働いていくこと。社会を創造していくことを西田哲学は、いっているのではないですか。
 西田はこういうはずであるが、宗教も哲学を記述したものがある。部派仏教教団は、四諦八正道の 実践と詳細な解脱の哲学を記述する。だが、この人生で解脱できない人も多くて、聖者を4種に分 類している。だから、どんなに実践しても、この人生では解脱できないかもしれない。

 マインドフルネスを単なるテクニックと考えて用いている「世俗的マインドフルネス者」なら、満足で きるのだから、それはそれでいいが、クライエントの側が、真剣であれば期待を裏切る。場合によっ ては、精神疾患を発症させ、悪化させ、自殺に追い込むこともある。従って、これからは、西田幾多 郎のいうように、その実践(宗教の行に似た)がどのような哲学によっているのか知ることは、クライ エントの人生にとって重要である。昔は、ヨガ、研修という宣伝文句によって誘い、反社会的な集団に導かれて いった事件があった。今は、マインドフルネスがブームとなっているから、下手をすると、「マインドフルネス」でさそって、反社会的な宗教に導かれるお それがある。
 だから、その実践のはてにどうなるのか、目標としている哲学が大切である。

(続く)

    (1)西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎全集』第十一巻、岩波書店、一九六五 年、371頁。

(語句)
★SIMT:Self Insight Meditation Technology/Therapy。日本的マインドフルネス。大田健次郎 (2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社、大田健次郎(2014)『マインドフルネス 入門』清流出版。
★学問的マインドフルネス⇒この記事
★社会的マインドフルネス⇒この記事
★世俗的マインドフルネス⇒この記事
★宗教的マインドフルネス⇒この記事
 =それぞれの教団によって、哲学とマインドフルネスの方法が違う


【目次】最も深いマインドフルネスの実践の哲学

★死刑囚の心にも「澄めるこころ」
 西田幾多郎博士と同じこころ
【目次】西田哲学からみる科学学問、そして哲学
 〜マインドフルネスSIMTと表裏

参考

★<目次>NHK E テレビ、こころの時代「日本仏教のあゆみ」
 ある特定の集団の立場に立たないで、根源的な人間のありのままの立場から学問をしようとする例のようです。

★<目次>道元禅師のマインドフルネス
★(目次)人格的自己の「マインドフルネス」へ
★(目次)さまざまなマインドフルネス
★(目次)最も深いマインドフルネスの実践の哲学
Posted by MF総研/大田 at 09:51 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL