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NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」(1) [2015年04月23日(Thu)]
★マインドフルネス精神療法研究会第1回大会
 =ご参加を受付中です

(⇒こちら)マインドフルネス精神療法研究会第1回大会
 2015年5月16日(土)午後、さいたま市の会場で。
 日本にあった西田哲学に基づく日本的マインドフルネス

 大会の出席はどなたでもできます。
 定員わずか、50名です。お早めに、お申し込みください。
 マインドフルネスはアメリカのものが多いのですが、 昔から日本人に親しまれてきた、仏教、禅を応用して、しかも、 宗教の縛りを脱した、西田哲学に導かれる論理的マインドフルネス。しかも、日本には宗教レベルの最も深いマインドフルネスがあります。何をマインドフルネスするかによって違いがあります。自己存在のマインドフルネスまであります。
 当日、日本的マインドフルネスの活動、研究を報告していく機関誌「マインドフルネス精神療法」創刊号をご参加の皆様に配布いたします。
これもわずかな限定部数、発行されます。一般の予約購入の受付が始まりました。 日本マインドフルネス精神療法協会のホームページをご覧の上、お申し込みください。会員に入会なさったほうが、割安感と入手確実性があります。 配布は会員優先です。

NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」(1)

 NHK Eテレビの「こころの時代」で6回シリーズで、竹村牧男先生の「日本仏教のあゆみ」 が始まりました。19日(日)が第1回でした。竹村先生は、私が最も尊敬する仏教学者です。(東洋 大学学長) ぜひ、このシリーズをご覧になってください。日本仏教の素晴らしさと、日本的なマインドフルネス の可能性を再確認できるでしょう。テキストもあります。(竹村牧男『日本仏教のあゆみ』NHK出版)
 竹村先生は、仏教の研究者でありながら臨済系の禅の悟道の人です。絶対無、身心脱落の体 験があるというわけです。学問と禅の実践を兼ね備えた人は、数えるほどしかおられません。稀有 なお一人です。
 悟りを得た後に、経典を読む場合、体験のない文字の学者が表層的に解釈するのを、そうではな くて、絶対無の立場のない立場から経典の深い意味を読み取ったり批判できる智を「 看経の眼」(かんきんのまなこ)と言います。竹村先生の著書のすべては、そういう眼から 見た仏教や経典の解釈を教えてもらえます。私が本、講座のテキスト、ブログなどで書く仏教や禅の記述は なるべく竹村先生の解釈と違わないないように務めています。(それでも、もちろん私は読み違いをおかします。専門の学者でもなく、宗教者でもありませんから)

 第1回から、竹村先生らしいとりあげかただな、と思いました。聖徳太子の著作であろうと推定され ている 「三経義疏」(さんきょうぎしょ)が、権威ある法華経の説、静かな場所での坐禅を批判しているというのです。 現代までも通用する批判のようです。町を離れて静かな場所で坐禅(マインドフルネスに似た瞑想 )するようにすすめている法華経を批判しているというのです。

 飛鳥時代に、このような出家主義の仏教を批判した人がいたとは驚きです。現代でも、家族が物 音を立てる自宅ではマインドフルネス、坐禅、瞑想ができない、こういうものは静かな寺院、山寺の 道場でしなければ身につかないと思っている人が多いでしょう。それは間違いだというのです。

 私もマインドフルネスの呼吸法、自己洞察法を、静かな場所でしかできないという人に、「そんな 逃避ではいけない。家庭で家族がテレビをつけていて音が聞こえる環境でもしなさい」といいます。 「ゴーゴーと音がする電車の中でも、患者や看護師などがせわしく動きまわり、声が聞こえる病院の 待合室でもしなさい」といいます。

 静かな環境にいる僧侶しか救われない仏教、坐禅ならば、在家、一般人は救われないではない か、そういう教えであれば、社会的な存在意義が弱いではないか、という批判です。一体、何のた めの仏教なのか、一体何のために出家するのだろうか。出家しなければ救われないような教えなら ば、出家しか救われないのであるから、出家という自分だけの利益ではないか、 修行するのに、在家からお布施や衣食住のサービスを受けているはずだが、在家へのお返しの教 え、自分と同じ救済を得る方法をとかないのか・・・・、そういう種類の仏教批判は、2千年昔のインド で部派仏教教団を批判した(*)大乗仏教からあり、昭和までありました。そして、聖徳太子もそういう 批判をしていたというわけです。平成には、批判もあまりみられなくなりました。従来の仏教への失 望、絶望でしょうか。

 そんな時代背景の中で、「マインドフルネス」がアメリカで起こり、日本に輸入紹介されているので す。しかし、フランス、タイやアメリカに行かないと習得できないというのでは、日本人は救われませ ん。国内でいくつかマインドフルネスの教習所があるといっても、数百キロも離れたところも行けませ ん。悩みも浅いものから深刻なものまであります。マインドフルネスのモデルになった初期仏教の「 正念」は、 唯一の「価値」=解脱を求めるものです。現代の人のように、さまざまな職業の価値、家族の幸福、 健康な心身、社会貢献活動などの多様な「価値」の追求、切り替えを想定していません。

 (*)この批判を、7回目のSIMTカウンセラー育成講座で大乗仏教からの批判を検討しました。部 派仏教の出家至上主義。仏教者を4種に分類する思想、妻帯する夫婦の自然な男女の愛情があ れば最高の解脱はできないとする思想、主体の空はいうが客体は実体視する思想(人空法有)・・ ・。これらはみな大乗仏教から批判されました。親鸞聖人は妻帯のままで救済される道を開かれました。西田幾多郎によれば、親鸞聖人の救済も道元禅師の禅と同じ絶対無であるといっています。竹村先生も同意です。
★NHKこころの時代「日本仏教のあゆみ」 参考

Posted by MF総研/大田 at 04:16 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL