道元禅師のマインドフルネス [2015年04月15日(Wed)]
道元禅師のマインドフルネス日本の道元禅師は鎌倉時代の人であるが、ジョン・カバット・ジンからも尊敬されている禅僧である。 「彼はおそらく異議なく、禅仏教が生み出した最も独創的な思想家であり、彼はその思想の哲学的な広さと深さによって知られている。」( 井筒俊彦,2014)鈴木大拙、西田幾多郎、井筒俊彦などから高く評価された。彼にももちろん、マインドフルネスがある。というよりも、日本のマインドフルネスを現代まで伝えることになった源流である。 彼の教えを守る禅寺で、歩く瞑想、食べる瞑想、食事を作る炊事係りの行動時のマインドフルネス、坐禅(正座瞑想にあたる)などが実践されている。 彼の深い哲学は、自己存在のマインドフルネスにあたるが、現在はここまでのマインドフルネスはまだない。ジョン・カバット・ジンが「全体性」と言ったところで、彼もまだ体得法を示していない。
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4943) ★道元禅師のマインドフルネス
(2)道元禅師のマインドフルネスの心得 ☆「善悪を思わず、是非を 管することなかれ」「心意識の運転をやめる」 等 (3)すべての人の根底は仏性という道元禅師(西田哲学でいう絶対無、絶対的一者) (4)道元禅師には出家至上主義の言葉もある 核心の絶対無(身心脱落という)は通底するが (5)道元禅師のマインドフルネス・深い哲学は現代にも通用する=西田幾多郎、井筒俊彦、鈴木大 拙、竹村牧男 (6)禅体験は、認識論的・存在論的・行動論的 =道元禅師「諸法の仏法なる時節」「身心脱落、脱落身心、脱落脱落」 (7)道元禅師の「身心脱落」は、井筒俊彦の「無分節」で西田幾多郎の「絶対無」で人格的自己の 基礎 (8)道元禅師「仏教・禅の真相は文字の学者にはわからない」 (9)禅のマインドフルネスのコツは「思考の厳格な停止」 (10)思弁的でない中国人によって禅の方法が開発された (11)中国の禅は5つの宗風があったがみな一つという道元禅師 (12)公案を用いる禅の方法 (13)只管打坐の方法 (14)只管打坐だけではだめだ、エゴイズムの我見我執に気づき捨てよ (15)我見我執を捨てて坐禅すれば悟る ★宗教が邪魔をすることがある ★学問的マインドフルネス⇒この記事 =歴史的、文献研究。現実の臨床のスキルを持たない。 ★社会的マインドフルネス⇒この記事 =現在の社会における現実への臨床を行う。問題によって、相当の長期間援助できるスキル。 ★世俗的マインドフルネス⇒この記事 =部分的に技術、テクニックとして活用、哲学が考慮されない。習得に短期間。 ★宗教的マインドフルネス⇒この記事 =宗教は基本的に一生信じ継続するもの。それぞれの教団によって、哲学とマインドフルネスの 方法、社会への貢献の方針と実際が違う。世界や環境の変動にかかわらず、歴史的に形成された ものを継続する傾向が強い。 |
Posted by
MF総研/大田
at 05:52
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