CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«何を学ぶかがとても大切 | Main | ビジネス現場における創造力向上(暫定)のマインドフルネス=Eプロジェクト»
初期仏教は大乗仏教から批判された [2014年11月19日(Wed)]

初期仏教は大乗仏教から批判された

 ジョン・カバット・ジン氏のマインドフルネスは、「東洋哲学」 が基礎になっているのです。7つの心得は、東洋哲学(特に、大乗仏教、道元)が根拠と思われます。「東洋」ならば、すべて同じかというと、違います。 東洋哲学でも、「ヴェーダンタ」の哲学、アビダルマという「初期仏教」の哲学も、大乗仏教の道元の哲学、西田哲学とは大きな違いがあります。

 初期仏教は、釈尊の仏教から変質したというのが通説です。釈尊と同じ解脱を得ることは、とても難しいという哲学、思想 になりました。これでは、真剣に深いものを習得しようという努力がなされなくなるでしょう。

ダルマを実体視した

 初期仏教(釈尊ではなくて、何代かあとの教団)は、ダルマ(法)を実体視して、人間の真相ではないと、大乗仏教から批判されました。

★こちらに大乗仏教からの批判

 このように批判された哲学に導かれます。 このようなダルマが実際に存在するのならば、詳細に研究しなければなりません。とても難しいの で、僧侶であっても、もう、この人生では悟ることはできない人も多いという思想もプラスされました。聖者に4つの段階があるという思想です。

1.預流=遅くとも7回転生すれば解脱する。
2.一来=あと一度人間界に戻ってくる。
3.不還=五欲を完全に除く。もう人間界に戻ってこない。
4.阿羅漢=すべての煩悩を取り除く。二度と生まれ変わらない。

 このように、輪廻転生して、体験的認識論的な解脱段階が想定されていて、大乗仏教のいうな存在論的な自己のあり さま(真の自己とは)は説かれません。おまけに、行先は4種の聖者です。輪廻転生してからやっと解脱するという人も多いのです。現代の社会人が瞑想して、このうち、この人生でどこに達することを望むでしょう。
 一方、大乗仏教、襌は、今この世の生の、この自己の根底が、絶対無、絶対平等だというのです。西田幾多郎は、すべての人間の平等性としての人格の基礎であるとしました。現代の日本人は、 自己存在についての苦悩にとりくみたい問題を持つ人が多いでしょう。

 マインドフルネスは、形式は浅いうちは似ていますが、深い哲学が根本的に違っています。 ACTは西洋哲学です。弁証法的行動療法は、「弁証法」というのですね。詳しくみないとわかりませんが、西田哲学は「弁証法」ではなくて、「絶対矛盾の場所的論理」(板橋勇仁氏)だといいます。なじみ深い道元、親鸞が、これであると西田幾多郎はいいます。ジョン・カバット・ジン氏の「全体性」が、同じものであるならば、MBSRとSIMT(日本のマインドフルネス、自己洞察瞑想療法)は深い根底は同じになります。ただし、どちらも、言語化した具体的手法は、まだ浅い段階しか提示していません。
 5年、10年、20年とマインドフルネスを実践していくうちに、自分のことで悩むことが出てくるでしょう。深い苦悩は、マインドフルネスでないほかのスピリチュアルな宗教に期待するのでしょうか。
人格的自己のマインドフルネスへ
Posted by MF総研/大田 at 20:55 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL