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意識作用レベルの違うマインドフルネス心理療法 [2014年09月19日(Fri)]

意識作用レベルの違うマインドフルネス心理療法

 前の記事でこう書きました。
認知療法について
 (親鸞上人の教えは「善悪」を言わない「無評価」の教えです。あとで、考察したいですが、認知 療法は思考の善悪を問題にする心理療法であり、 マインドフルネス心理療法は、思考の善悪を問 題にせずそれ超えた意志作用、さらに行為的直観へと導き、それらを起す「自己」とは何かを「瞑 想」を通じて探求するものといえるでしょう。 )

 認知療法とマインドフルネス心理療法の違いをこちらでも 述べました。  このことについて、述べて みます。

 西田哲学によれば、人の意識は作用側(ノエシス)と その作用が作る対象・内容(ノエマ)とがある。 視覚作用(ノエシス)には、見られた映像・物(ノエマ)があり、 思考作用(ノエシス)には、考えが作り出した概念・言葉の連続(ノエマ)がある。 意識現象という言葉で私はこのノエマ側をさす。

 西田哲学によれば、私たちの意識現象には、浅いものから深いものへと 判断、知識(感覚、思考)、意志作用、行為的直観、自覚的直観の順になるという。感情は作用で はなくて、自己の状態である。
 すべての人が日々これを起すが、通常は意志作用までを使うような生活をしていて、自己とは行 動するものであるという自己観を持つ「意志的自己」の人が多い。自覚としては、こういう人が多くて 意志的自己」を「魂」(ノエマに思い浮かべて)と考えている(ノエシス)人が多いだろう。 この意志的自己が死後も存続して天国や来世に生まれると思う(ノエシス)人が多いだろう。 いや、そういう魂の存続の信仰はないので、この自分が消えるのが怖いと思う人が多いだろう。

 多くの人が多くの時間に行為的直観(ノエシス)を用いた生活をしているのだが、 その自覚がない。自己を意識しないで自分の価値実現に向けて「行動」している時がそうである。 農作業する、魚をとる網を投げる、その瞬間、自己は意識(ノエマにない)されない。 自分の価値と思う職務に向かって専心しているので、その瞬間は自己が意識されず、行動の喜こ びを感じつつ行動している。

 この連続であれば、悩む暇がない。悩みは、行動しない時に起きる。 行動しない時に、思考する(ノエシス)。その思考内容(ノエマ)は、人生の価値とすべきことがみつ からない、みつかっているが従事(就職)できない、うまくいかない、あの人との関係がつらい、病気 だ、死ぬのがこわい、・・・、悩みは無限にある。喜こびをもたらす思考内容もある。それによって、 感情が起る。不安、嫌悪、ゆううつ、悲しみ、怒り、などの感情が起きるが、持続すると、あるいは、 強いと、精神疾患となったり犯罪(暴力、DV、虐待、違法薬物)を犯す。

 さまざまな領域の専門家が世間をさわがしているのは、叡智的自己のエゴイズムの行為による失敗によって起きていると言える。しっかりとした人生価値、人生上の喜こびを持っていたのに、 エゴイズムの観察をおろそかにして大失敗を起してしまったといえるのだろう。 誰にも起きる。高齢になるとうつ病、自殺「が多い。今は若い人のうつ病、自殺も増えてきた。 社会的な予防対策のほか、 意志的自己、叡智的自己のマインドフルネスも大切だ。

 このような思考内容(ノエマ)を聴いて、悩みを解放してもらう傾聴のカウンセリングがある。 もう脳内の神経生理学的な病理が進行していると、傾聴だけでは回復しないので、病理の改善の 助言をする心理療法がある。認知療法とマインドフルネス心理療法。V・E・フランクルのロゴセラピ ーもあるが、今は省略。アメリカで臨床試験までしてうつ病などの回復が確認されているのは、認 知療法、対人関係療法、マインドフルネス心理療法である。

 認知療法は、思考内容(ノエマ)に善悪、否定肯定、悲観楽観がある、それを検討して置き換え るよう助言する心理療法である。これでもうつ病が治った。しかし、治らない患者もいる。 そこで、思考内容(ノエマ)の点検をせずに、思考作用よりも、もっと高次の意志作用(ノエシス)の 活性化を試みる心理療法が開発された。マインドフルネス心理療法である。 思考作用の内容の点検はしないで、目的に向けての反応パターンを変える助言をする。 意志的行動を繰り返す。すると、脳内の神経生理学的な変化が起り、うつ病の症状が回復し、不 安症/不安障害の回避逃避行動が改善される。

 マインドフルネス心理療法には、感覚レベル(たとえば痛み)の不快さの改善のもの、 思考レベルのもの、意志作用レベルのものがある。もっと深い苦悩は、行為的直観レベル、自覚的 直観レベルのマインドフルネス心理療法が考えられる。欧米には、行為的直観、自覚的直観の哲 学はあまりないと西田はいう。だから、意志的自己よりも深い苦悩は、東洋哲学によるのが自然であ ると思う。仕事は持っているが心が満たされない、自己嫌悪が強い、自己評価が低い、仕事はバリ バリだが家族に暴力を振るう、仕事はバリバリ家庭円満だが死が怖い、・・・、さまざまな叡智的自 己、人格的自己レベルの苦悩がある。

 昨年の本(佼成出版社)は、病理回復の意志的自己レベル、今年の本(清流出版)の前半は病 気でない人の意志的自己レベルのマインドフルネスである。認知療法的手法ではない。清流出版 の後半は、叡智的自己のマインドフルネスの入門、叡智的自己は普通の人は訓練したことがない 実践だから難しく感じるかもしれない。道元、千利休、松尾芭蕉、西田幾多郎、西谷啓治、多くの 禅僧などの深い人格的自己を探求した人々に近づく方向にある。夏目漱石もこれをめざしたという 。そういう方向であるから、日本には深いマインドフルネスがある。ジョン・カバット・ジン氏が「全体 性」と言って示唆していながら、到達への実践は説いていない領域であると思う。そこは、日本人 の多くが説いている。だが、その指導法が難しい。
 神仏の信仰のない日本人には、深いレベルのエゴイズムで大失敗して苦悩したり、死を恐怖して うつ病になったりする人が、日本には多い。何とか マインドフルネス心理療法的手法、言葉で実践を説明する手法を開発できないものだろうか。 痛みがつらいのと、自己自身の死が近い苦悩とはまるで違う。方向づけとなる智慧、哲学のあるマ インドフルネス心理療法が大切である。アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)は、西洋哲 学の行動分析学であるという。とすると東洋哲学とは理論が違うので、適応症、用いる領域が違う だろう。傾聴、認知療法、マインドフルネス心理療法に違いがあるように、マインドフルネス心理療 法の中でもかなり適応問題が違うだろう。 仏教の中でも、法華経、浄土教、襌などに分かれた。マインドフルネスの 研究はまだ、始まったばかりだ。標準的マインドフルネスが発表された段階であり、社会的マインド フルネスはこれからだ。
Posted by MF総研/大田 at 07:12 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL