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自己実現に向けて生き生きと生きる [2014年05月22日(Thu)]

苦悩の現実の中で世界を創造して生きていく(42)

<第4章>深いマインドフルネスで生きる叡智的自己 (13)
 =自己実現に向けて生き生きと生きる

 今、世界的にマインドフルネスということがブームになっていますが、つらい意識現象の 無評価観察および価値への行動が重要な要素になっています。 その時にマインドフルネスが対象とする意識現象に浅いもの深いものがあるのです。 V・E・フランクルの区分で言えば、身体的なものへのマインドフルネス、心理的なものへの マインドフルネス、精神的なもののマインドフルネスが考えられます。
 西田哲学は古来 日本に、徹底的な深いマインドフルネスがあったことを指摘しています。 無評価といっても、個人個人が違うものを苦悩します。評価の目も違います。エゴイズムを 避けることはできません。西田は「 物となって見、物となって働く」と言いました。 自我が絶対的に否定された時、全く個人的な評価のない世界の立場になります。
 金子みすゞはしばしば広い立場から物事をみます。 大漁に沸く人間の喜びだけではなくて、海の中の世界まで見て、とらえられた魚の家族の 悲しみを見ます。 医師や製薬会社の側から見るのではなくて、患者の側からも見ると広い世界の立場から 見ることになります。薬の副作用があることを隠すと、無評価ではなく、製薬会社側の利益 優先になります。

自己と世界の構造
 西田哲学はこうした自我の立場でない、世界の立場から見る自己と世界の見方があるこ とを教えてくれます。日本に昔からあったもので、西田幾多郎が論理的に説明しようとした ものです。このような見方を今このように言葉の解釈で知識として理解するだけでは何も 生活に活かされません。実際に体験して身につけて現実生活に活かすための方法があ るのです。従来、修行とか宗教実践と言われていたものですが、最近はそれは実践され なくなりました。そして、アメリカや日本で、「マインドフルネス」という実践として復活したと いえます。しかし、マインドフルネスには、扱う対象の深さが違うものがあります。 自他不二的な哲学に見られるマインドフルネスは、日本に独特のものです。

 東洋哲学が教えるところを環境世界の側と自分の心の側から簡単にみておきましょう。 まず、目を世界に向けてみましょう。 世界には、無数の人間が生きています。無数の人間が自分と同様に、自分の好きで選ん だ価値の実現のためにさまざまなことを考えて行動しています。結局、自分の前に無数の 人間が選択したことを重視して自由に行動した結果が見える形や音になって押し寄せて います。人間のほかに、地震、津波、台風、火山爆発などの自然も動いています。一瞬も とどまらない変化の中にいます。 自分には予想もできないことが時々刻々と起きる「動揺的な世界」の中に生きています。
 今度は自分の側を見てみましょう。外的環境からの情報が感覚として心に現れます。身 体的な情報です。常に何かを見たり聞いたりして、それについて考えたり、感情を起し、欲 求を起し、行動したりしています。心理的情報です。特によく考えているものです。考えが 常に動いています。過去や未来のこと、仕事のこと、遊びのこと、健康のこと、人のこと。そ して感情も起します。怒り、イライラ、不安などなど。
 こうして、外的刺激と内的な刺激が心に現れます。そして考え感情を起し、心は常に変 化しています。

 世界も自分も片時も止まらずに動いています。新聞やテレビの報道を見ると、政治、経 済、スポーツ、教育、芸能、国際、環境、医療、福祉、など多様です。人生の価値を決め た人は、たいていみなそうですが、 世界は無限に広いのに、個人は自分の価値によって狭い領域を選択して、そこだけで意 志を起して行動します。選択しなかった領域の方が無限というほどに広いのですが、その 広い領域を全く捨てます。 自分の心の場所に、選択して行動している場所のことが現れます。選択した領域だけを 重視しますので、当然、自分中心、他者他の事を考慮しないエゴイズム的な行為であるか もしれません。 すべての人がそうやって生きています。また集団的エゴイズムも働きます。他の集団の利 益を考慮せずに、自分の集団の利益を優先するエゴイズムがあります。専門家のエゴイズ ムもあります。自己の価値だけを重視します。当事者はエゴイズムだという意識なしにして います。
 自分の価値だけを重視して他の人の価値を無視することが本質的です。 つまり、無評価ではありません。自分の選んだ価値の目で評価するのが本質的です。しか し、それでもやはり、他の人の価値や人格を尊重することが必要です。自分や他者の価 値、人格を尊重していくためには、やはり自分の自己中心の心を実際に体験的に観察し ます。
 思考レベルと意志作用レベルは違うのでした。 そして、意志的自己と叡智的自己も違うのでした。叡智的自己の自覚に向けて、そして人 格的自己をさらに生涯探求すべき方針として、日々実践していくことが望まれます。
【シリーズ】苦悩の現実の中で世界を創造して生きていく

<第4章>深いマインドフルネスで生きる叡智的自己
Posted by MF総研/大田 at 21:27 | 今ここに生きる | この記事のURL