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価値を実現できていた自己が死ぬのではないかとおそれる「がん」 [2014年02月13日(Thu)]
★本で自習なさってお られるかたへ
★3月22日、宮城県石巻 で講演会
 大災害の後に、長年月、うつ病、PTSDが。マインドフルネス心理療法で改善したい方、予防の援 助をしたい方。地域、職場、団体で「心の健康体操」のインストラクターになろうかという方。今後、半年継続するか検討。
2月15日、さいたま市でのマインドフルネス心理療法講座(第5回)(予報は「雨」ですので開催できるでしょう。気をつけておこしください。)
★2月22日、池袋での実習
★2月23日、蓮田での実習

人生の価値を発見していきる(10)

価値を実現できていた自己が死ぬのではないかとおそれる「がん」

 仕事、愛する人がいて、生きがいをもって生きていた人は、ヴィクトール・E・フランクルの いう創造価値、体験価値を持っていた人である。ところが、医師から「 がん」だと言われる。価値実現の自己の危機である。自己が死ぬならば、 価値どころではない。価値実現で悩まず、自己存在の消滅について苦悩する。
 従って、死の意識においては、創造価値、体験価値どころではなくなるのである。 死の問題は、価値、すなわち、創造価値、体験価値の問題ではない。「当為の道徳的問 題」でもない。 それさえも消滅するかもしれないという深刻な「苦悩である。マインドフルネスの階層が違うのである。

 「自己とは何であるか」「それは何処にあるのであるか」「自己そのものの本体の問題」「そ の在処(ありか)の問題」である。西田幾多郎は、これを宗教的問題だというのである。 そうだとすれば、がんだとわかった人、難病により 死を意識する人、高齢になり死を意識する人、愛する人を失った苦悩にある人は多いはずである。マインドフルネスによる援助法の開発に取り組んでいいはずの問題である。多くの人が宗教を誤解しているようである。

死を自覚した時、宗教問題

 西田は、こういう。

 「いかなる場合に、我々に宗教問題というものが起こるのであるか。・・・ 宗教の問題は、 価値の問題ではない。・・・我々の自己の根底に、深き矛盾を意識した時、我々が自己の 自己矛盾的存在たることを自覚した時、我々の自己の存在そのものが問題となるのである 。・・・ 私は我々の自己存在の根本的な自己矛盾の事実は、 死の自覚にあると考えるもの である。」(『場所的論理と宗教的世界観』)

 「宗教的問題とはいかなるものかを論じた。それは対象認識の知識的問題ではないこと はいうまでもなく、我々の意志的自己の当為の道徳的問題でもない。我々の自己とは何で あるか、それは何処にあるのであるか、自己そのものの本体の問題、その在処(ありか)の 問題である。・・・道徳的苦悩という。しかし、良心的苦悩には、なおどこまでも自己というも のがある。ただ自己自身の底からの苦悩である。」

 自己を残しておいて、実現する価値がみつからないという苦悩とは次元が違う。創造価 値、体験価値を遂行するのは、しっかりした叡智的自己である。そのはずだった自己自身が危機にある、意識が価値ではなく自己自身の死に向かいがちとなり、価値実現の苦悩とは次元が違うので、苦悩は深刻である。人格的自己の問題である。自己存在の苦悩は宗教的である。
 フランクルは、宗教の問題は、医師が扱えないというから、ロゴセラピーでも扱わない。しかし 、宗教的苦悩の援助を必要とする人が、病院や家庭に数多くおられる。援助する方法が必 要であることは疑いない。

宗教的問題と知らずに死の問題で苦悩する人が多い

 がんになっても、闘病期間は長い。存在価値を探求しつつ、やはり価値実現を求めつづけたい。2つは、次元が違うので、並行して探求できることであろう。
 病気で愛する人を失った。大震災で愛する人を失った人が多い。愛する人の死で苦悩する人が多い。日本では,襌や念仏によって死ぬべき自己存在の探求も実践されてきたようである。千利休、松尾芭蕉、良寛、河井寛次郎、東山魁夷など多くの芸術も表現してきたようである。妙好人という人も多い。だが、現代にはその実践方法が一般の人に公開されず、援助に活用されていない。それを特定宗派、特定人物を絶対視するような態度をやめて、宗派によらず一般の人ができるようなマインドフルネス的な「実践哲学的手法」で取り組むように開発するべきなのである。
 マインドフルネスとは、自己を直視し不快な事象を観察して受容しそれに負けずに、今はたすべき自己の使命に意識を向けていることであろう。 自己自身、自己存在を直視し観察して、自己自身の存在、その死とはどういうことかを探求しつつ、限られた生命を意識しながらも受け入れて、今果すべき使命を遂行していくはずだからである。

さまざまなレベルのマインドフルネス

 繰り返し述べているが、マインドフルネスには、浅いもの深いものがある。西田哲学による。 感覚を観察し受け入れている知的自己レベルのマインドフルネスから、思考感情を観察してうつ病不安障害から脱出すること、二度とうつ病、不安障害にならない意志的自己のレベルのマインドフルネスがある。さらに、創造価値、体験価値、態度価値を遂行できる自己とは何かを観察して世界に貢献していくマインドフルネスの叡智的自己レベルがある。さらに、その自己存在そのものに危機を意識する時、自己自身とは何かを探求して、死の不安に挫折しそうになる危機をのりこえていく人格的自己レベルのマインドフルネスがあるはずである。西田によれば、人格的自己レベルは、襌の人や念仏、キリスト教などにみられるという。そういう特定の宗派によらない、マインドフルネスの哲学による手法を開発できるはずである。これほどの知性を洗練させてきた現代日本人にできないはずがない。昔の宗派仏教のような特定の一人がするのではなくて、多数の研究者、当事者による協同研究によって開発していくのである。
 大まかな設計図はある。西田哲学やフランクルの哲学がある。

★生きがい、生きる意味、価値の種類、創造価値、体験価値、態度価値、さらに存在価値
Posted by MF総研/大田 at 21:36 | 今ここに生きる | この記事のURL