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虐待(6)子どもの自殺の背景に虐待があるケースもあるか [2013年12月19日(Thu)]

虐待(6)

 =父に虐待された子供がやさしかった亡き母のいる天国に行く「自殺」に見える行動

田宮虎彦の小説『童話』

 『足摺岬』の収められた文庫に、別の短編小説『童話』があります。 虐待が関係する小説です。父から虐待されず、愛されていたら母が死んでも、子どもが自殺に見え るような行動はしないかもしれません。

 父から虐待されていた少年がいた。父に嫌われて、びくびくとして暮らしていた。母はやさしかった 。母が病気になると、母と少年は実家に帰された。少年には、祖父母の家は夢のようであった。自分 を怒鳴りつける父がいなかった。
 母をみてくれる医者は少年にやさしかった。遊んでくれた。
 母は段々弱っていった。母は泣いていた。
    「お母さん、どうして泣くの」
    と聞いた。母はその少年の言葉をきくと、無理に笑ってみせて、
    「お母さん、死ぬかもしれないよ」
    といった。少年は、まだ死ぬということがよくわかっていない。それで、
    「死んだら、どうなるの」
    と聞いた。
    「死んだら・・・・」
    母は、ちょっと口ごもったが、つづけて、
    「あの世に行くの」
    といった。」
 母は3日後に死んだ。
    「少年は、母が、あの世にいるのだと信じている。・・・少年は、母のいるあの世に行ってみたくなった 。」
 少年は高い柿の木に登っていた。「落ちたら死んでしまいますよ」といった母の言葉を思いだした。
    「少年は落ちてみようと思った。それで柿の木につかまっていた手をはなし、木のまたに立って、口の 中で、一、二っ三と号令をかけた。」
 父から虐待されていた少年には、やさしい母が生きていく希望だった。その母が死んだ。

 よく、死んだらまた会えるという。多くの大人もそういう「信仰」を持っている。愛する配偶者に先立た れ、残された一方が「母さんに会えるから怖くはないよ」という。大人はそれでいい。
 死生観でしばしばそういうことを聞く。しかし、自殺防止の活動をするようになってからは、私はこの ことをみだりに、子どもにいうのは問題であると思ってきた。子どもの自殺をうながすかもしれないと思 うからである。その根っこが、中学3年の時に読んだ田宮虎彦の小説であったのかどうかわらない。
 死ぬということがどういうことであるかわからない子どもに、死んだら本当に天国や極楽で会えるか どうかわからないことを、判断力のない子どもに教えるのは注意が必要であると思ってきた。特に、父 母のどちらかにうとまれてきた子どもの父か母が死亡して、残ったのが虐待していた親であるならば 絶望である。天国にいるやさしい親に死んだら会えると教えられるならば、確たる自殺ではなく、亡き 親にあうための行動が、周りからは「自殺」と見られる。その真相は、虐待する親、死んだらやさしい 親にあえるという素朴な期待である。

 実際、子どもの自殺がある。動機がわかりにくい場合がありそうである。つらそうな子どもがいる場合 、孤独、虐待も考慮せねばならず、安易に「やさしい親は天国にいるよ、いつか死んだらあえるよ」と いうことを、一時のなぐさめるつもりでいうことはよくよく考える必要があると思う。

(続く)
虐待
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★小説『足摺岬』を書いた田宮虎彦が虐待をテーマの所説も
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★自殺を思いとどまる『足摺岬』の場合
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★田宮虎彦の小説『父という観念』
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★田宮虎彦の小説『童話』

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Posted by MF総研/大田 at 21:58 | 虐待防止・虐待予防 | この記事のURL