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樣々な差別があっても根底は絶対平等の人間存在 [2013年09月26日(Thu)]
★本が増刷されました。
6月はじめに出版されましたマインドフルネスの本(佼成出版社) の第1刷本は多くの皆様からご購入していただきまして、増刷になりまし た。9月25日、第2刷発行になりました。 ありがとうございました。

「人格」とは何か(13)
 さまざまな段階の自己

樣々な差別があっても根底は絶対平等の人間存在

 マインドフルネスは自己と世界はいかなるものであるかを どこまでも深く洞察していくものです。
 西田哲学によれば、判断的自己、知的自己、意志的自己、叡智的自 己、人格的自己があります。我々は、真の自己と言われる人格的自己ま でを視野に入れていきます。  現在(2013年9月)のところ、意志的自己レベルのマインドフルネスの 文書化ができました。自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)のセッション1から10までとして段階的なトレーニングによって、 意志作用を習熟します。これは、うつ病、不安障害、過食症などに適用 したところ、効果が見られました。
    『うつ・不安障害を治すマインドフルネス
       ひとりでできる「自己 洞察瞑想療法」』佼成出版社

絶対平等の人間存在

 西田哲学は、意志的自己よりも深い自己として、叡智的自己、人格的 自己を説明している。今は、人格的自己について考察している。
 人間存在は、すべて平等の人格である。男女の性差、人種、国籍、 年齢、職業、生まれ、身分、地位、貧富、宗教、病気、障害の差異に関 わらず、そういう差異は社会が決めた差異であって、根源の人間存在は 平等である。西田哲学は、根底の人間の原事実と、それを基礎にした 人格的自己を論理的に説明しようとした。

 衝動的自己によって、自分や他者(いじめ、虐待、セクハラのように)を 苦しめる自己は、自他を苦しめない意志作用の訓練をして、意志的自 己となる。

 これを自覚しない衝動的自己は、自分を苦しめ、他者を苦しめる。先 取りして言えば、深い叡智的自己、人格的自己もエゴイズムによって人 を苦しめる。人を苦しめる悪は人間に本質的である。人間は、決して悪 を犯さない神になれない。

叡智的自己

 意志的自己よりも深く叡智的自己となる。意志的自己が成長すると叡 智的自己となる。自分の人生の価値を見つけて意志作用を行使し、 それが習慣化され、自分の価値世界と自己が一つとなる。職業、技術、 スキルを熟練して、社会に貢献して、満足している叡智的自己である。 しかし、人は悪を犯す存在である。世界の立場、人格的自己の立場をと らずに、社会的悪を犯す。職務、技術の遂行時以外の時に対人関係に おいても悪を犯す。専門家は、自己の技術に執着して、悪を犯す。対人 関係においては、意志的自己と変わらない。なお悪を犯す。
 どうして、そういうことが起きるか、一つには、人間は自由であることで ある。善をする自由も、悪(自己や他者を苦しめる)をする自由もある。意 図せずに犯す悪もある。さらに、決定的なことは、自己は、世界の外に いて世界を外から見るものではない、世界の中にいて、世界の中で行 動する。世界は、無数の個人の行為によって一瞬一瞬、変化している、 人は自我に執着するのが本質であるから、悪を犯す行為も多い。そういう無数の人の作る予測もつかない世界の動きが自己に与え られ、自己を否定してくる。時々刻々と予測もできない仕方で世界が自 己を否定する形で現れ、崇高な目的も、一瞬一瞬世界によって否定される。 時には崇高な目的ということにとらわれて、うぬぼれて世界の立場を見失い、悪を犯す。 浅く狭い立場に執着すると、自己は満足しても、社会の人々の人格を侵害したり、救済を妨害することも起きる。たとえば、専門家が自分の技術に執着して、クライエント、弟子、患者を自分に留めおくために、もっとすぐれた成長や治療の機会をうばってしまい、苦悩の渦のなかに閉じ込め、ひいては自殺においこみかねない。 西田によれば、科学も学問も、ある立場における真理にすぎない。絶対の真理ではない。科学、学問の立場ももっと深いものがある。浅い学問の形で、深い実践を否定することも起きる。その研究者の自己の意識が低く、自分の好むものを絶対視して論証したくなる誘惑に気づかないとそういうことが起きる。叡智的自己は自分の人生価値のために行為し見る存在である。自分の選択した「人生価値のフィルターを通して世界を見て」、社会の出来事や物や文献を選択して行動していく。「崇高な偏見」を持って社会に貢献していく。行為的直観である。行為は目的をめざす、人はそれぞれの人生目的を持つ。自分の求める幸せであり、職業、技術、趣味を選ぶ。その眼で物を見る、世界を見て行動する。狭くなった価値の眼で見て行為していく、行為的直観で生きるのが人間である。ごく一部しか見えない。人は神のようには全体を見ない。 自分の価値、夢、願いから離れたものは、意識なく(人生価値のフィルターによって自動的習慣的に)、排除、無視、傍観、放置して生きていく。そういうところで苦しむ人が無視、傍観、放置されていく。ひどい悪は、大事なことをしている人を自分の浅いフィルターの立場で否定、批判する悪もある。団体が浅い立場で、深い立場の個人を否定する「社会悪」(西田哲学)もある。こういうことは人間存在の本質であるから、さけることができない。 自分で好きな事があり、限られた時間、生きるために必要な収入を得る重大事があるから自分でできることは限界がある。個人には何を選択するか自由がある、多くの人、組織に分担してもらって、社会、世界を作っていくしかない。自分だけがいいことをしている、自分の技術だけがいいと執着することは、それで救済されない社会全体の幸福にならない。必ず個人の枠から外れた問題がある。世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありあえない(宮沢賢治)。 そういうことを理解していて、自分にできないことをしている人を敬愛して、否定しない寛大さ(これは善である)が必要である。学問にも独断偏見がある。金子みすずがいう「みんなちがってみんないい」のこころであろう。 専門家も自分自身に執着せず謙虚であって、もっと広く深いものへの扉がある(フランクル)ことを自覚して、周囲の人に伝えておかねばならない。 世界の中で、悪を犯さずに生きることは難しい。しかし、専門家になると、その自覚を見失いやすい。
 実際、成功していたかのような専門家、著名な業績をあげていた人のエゴイズム、不正犯罪、大失態、自殺などが報道される。
 こうしたことは宗教的でなくても哲学として理解し探求実践できる、叡智的自己である。深いマインドフルネスを心がければ、悪の度合いが弱くなるだろう。 自己の本音(自他を苦においこむ悪の傾向)をよく自覚して、 自己や自己のスキル、技術、自己の組織の限界を知り、執着せず、自己、自己の団体の利益を過度に優先せずに、広く深い立場のあることを常に自覚しており、社会全体を見て、社会のためになるように行動していく(西田哲学のいう創造的世界の創造的要素)のだろう。かつて述べた他の連続記事(下記)の哲学者や医師による次のエゴイズムの指摘は、こういうことに関係する。

マインドフルネスでうつ病を治したいという専門家は少ない

 各県でマインドフルネス心理相談員になる人が少ない理由がこのような西田哲学(フランクルの意味への意志も同じ趣旨)の行為的直観の教えでわかります。(行為的直観は広義には、深い人格的自己の立場まであり<特に自覚的直観>ますが、実際、この立場に立つことは難しいようで、深い叡智的自己の探求が現実的であると思います。)
 専門家も自治体も薬物療法で治らない人を心理療法で治そうと考えて制度を作ることは、時機が熟していません。この問題は、患者、ご家族などの当事者から、国、自治体、医療組織などに、強い要望を出しにくいという事情もあって、自治体や医療団体の動きは遅いです。 人間存在(自己)と自己がその中で生まれ生き死に行く「社会、世界」の構造をあきらかにした西田哲学から、厳しい現実です。 私も30年前までは、うつ病の支援は全く考えておらず、それらしい記事、報道、活躍する人々のことは全く眼中に入らず、仕事と趣味にすべての時間、金、エネルギーを注いでいました。
 医師、心理士、看護師など、この問題に近い専門家でも、現在の技術、現在の職務によって大変忙しく任務を遂行なさっておられるので、多くの専門家の方に、マインドフルネス心理療法(SIMT)を提供していただくことは期待できません(それでも、現状の精神医学がなしえていないことに強い関心を持たれる専門家が日本全国で数人でも開始されることを期待します)。
 切実に期待する当事者(患者、家族が治ったあとに)によるボランティア、この問題に近いNPOの方々が、当分のあいだの推進者になられるであろうと思います。実際、元、薬物療法などでうつ病や不安障害が治らずに、この心理療法で治った患者さんやご家族がその後、マインドフルネス心理相談員になられたり、支援活動をする方がおられます。フランクルのいう、新しい価値、意味の発見です。 (⇒フランクル)
「人格」とは何か 参考
Posted by MF総研/大田 at 20:01 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL