• もっと見る
«人が傷つくこと、救済されること=SIMT研究会で考える | Main | 「人格」とは何か(2)»
患者の利益に立つ医療 [2013年07月21日(Sun)]

患者の利益に立つ医療

 前の記事で、臨床試験における不正について述べました。
 うつ病や不安障害は、治らず苦しむ人が多いのに、薬物療法絶対主義かのように、 薬物と心理とを統合して、患者の立場にたった対策が真剣にすすめられていないように感じます。心理学の世界でも患者の利益のために、効果の高い心理療法を心理士に教育して全国の人が受けられるようにしようという対策が遅れています。
 西田哲学は、人はすべて創造的世界の創造的要素であり、なるべく、世界の立場で行為すべきことを教えています。西田哲学は、個人のエゴイズム、独断、つまり自我の立場と、それがない立場で行為すべきことをも教えています。
 薬物療法における医療の場合、世界の立場とは、製薬会社、医者側の利益優先ではなくて、患者の利益を優先したもの、たとえばデータや事実が公表されたとしてもやましいことがない公平な立場ということになります。医療関連の世界においては患者も創造的世界の創造的要素であり、社会・世界を創造していく存在あり、最も尊重すべきなのは、患者の生命です。製薬会社や医師の利益ではありません。
 薬物療法も心理療法も、古い治療法に執着すると、患者の利益、患者の命を損ないます。病気と治療法がマッチしない治療法を患者に適用するのも創造的世界の創造的要素である患者の人格を尊重した、世界の立場とは言えません。日本人の西田幾多郎が教えているのに、心、精神、心理など西田哲学に近いことが関係する医療世界において、この哲学の精神が活かされていないようです。 マインドフルネス心理療法はどれも、仏教や襌の実践や哲学に似ています。仏教や襌があった日本で、マインドフルネス心理療法の普及が遅れています。新しいものの研究開発導入が遅れています。
 欧米では、次々と新しい心理療法の治療法が開発されているのに、 日本が遅れているのは、誠に残念です。これからの世界をリードするかもしれない西田哲学を生んだ日本としては、襌のある日本としては、奇妙な事態になっています。治る割合の低い心理療法が、新しい環境によって治りにくい精神疾患にも使いつづけられて、治らず苦しみ続ける患者がいます。世界をさがしても、治療法がないのではやむをえないが、あるのです。翻訳書が洪水のように出版されています。しかし、出版だけではだめです。出版物で得るのは「思考内容」です。マインドフルネス心理療法は、行動レベルです。思考と行動は違います。翻訳や研究は、思考レベルです。思考レベルで理想的な理論であっても、現実に治せる行動ができる人材がいないと患者には適用されません。その記述された方法で、実際に臨床で用いて、治せる人材が必要です。援助者に思考レベルの操作ではなく、行動レベル、実践が必要です。 実際に患者を受け入れるスキルを持つ現場の専門家が育っていません。欧米のマインドフルネスは、日本人の支援者には、難しいのでしょうか。西洋の理論が必ずしも現実にあっていないのでしょうか。
 世界の立場、患者・家族の立場に立つということが、国をあげて全力で真剣に努力されているとは思えません。役人、医師、心理士の方も、ご自分の家族がうつ病や不安障害になって、治らない情況になったら、精神医療の遅れを理解してもらえるのでしょうが。欧米に、認知療法やマインドフルネス心理療法があるのがわかっているのに、日本には「ない」としたら患者ご家族はどんなにはがゆいことでしょうか。
 がん患者さんの心のケアも弱いと言われます。そこからもうつ、自殺があります。 PTSD、対人恐怖、パニック障害など不安障害も治らないと非定型うつ病を併発して、自殺に至る可能性が高いです。心理療法は医師が提供するのか、看護師、心理士が提供するのか、気づいたボランティアの自主にまかせるのでしょうか。国も 医療界も心理学界も、もっと真剣になっていただきたいと思うのです。 効率の高い心理療法を検討して、患者に補助する制度を検討していただきたいのです。薬物療法を長期間受取続けてかかる薬代や働くことへの復帰が遅れることによるコストと、心理療法に補助するコストを比較して、心理療法には、特別の対策をとらないでいくのか、推進対策をとるのか方向を決めてほしいものです。
Posted by MF総研/大田 at 09:29 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL