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就職できないのとひきこもりは必然ではない [2013年04月30日(Tue)]

就職できないのとひきこもりは必然ではない

 無就労、失業の状態が長期間続くことがある。そういう人が2種にわかれる。「ひきこもり」の人と 、「ひきこもり」でない人(ボランティア活動などに意味を持ち)がいる。 フランクルは「失業神経症」という概念を提唱した。(『人間とは何か 実存的 精神療法』春秋社、p210-216)
 うつ病という診断基準にはあてはまらないかもしれない。本人も「病気」とは思わないだろう。しかし、生きる意味を感じられない。失業が長くなると、うつ病の診断基準に似た傾向が現れる。抑うつ症状ではなく、無感動、無関心である。
    「抑うつではなく無感動である。失業者は次第に無関心にな り、ますます自発性が消え去っていく。」
 支援も求めない人が多い。ただし、フ ランクルは、無就業であっても、無感動や無気力でない人々もいるという。無就 職がすなわち無用(しばしば当人はそう思っても)なのではないという。
     「人間の生活の意味は職業労働に尽きないこと、従って職業に就いていないか らといって無意味に生きざるをえないわけではない」
     「職業労働こそ唯一の生き る意味であるという誤った考え方である。」
 世間もそういう傾向があり、自分もそう思い込む「独断的な評価」によって、自分を苦しめて、 無気力になる。しかし、そういう独断に縛られない人もいる。
 職業労働以外の領域で、生きる意味をみつけて、行動していく人がいる。「体験価値」にいきがいを持つ人である。 ボランティア活動、講演やよい音楽を聞き、多くの読書をし、仲間たちと議論を する。こうして、生活を意味あるものにする。こうした人は、無感動で生きる人 よりも、就職できるチャンスがみつかるかもしれないという。どちらの生き方か、選択しているのは、やはり自分なのだ。
     「それぞれの失業者は誰でも、内面的に毅然としたままでいるか、それとも無 感動になってしまうか、そのどちらのタイプに自分を入れるべきかを、常になお 決断しうるのである。」
 無感動、無気力になった人には、ロゴセラピーが効果的だという。生きる意味の発見の援助を受ける。職業労働以外のことに生きがいを見出し、無感動、無気力から脱して、ひきこもり を克服できるかもしれない。

無気力からの脱出と予防

 もう一つ、考慮したいのは、就職できないから神経症(無感動、無気力)になったのではなく、その前に、神 経症気味だった(不安が強い、回避、逃避傾向)ことが就職を難しくした場合もあるという。
 こうした分析があっているとすれば、ひきこもり、無感動・無気力は、社会だけのせいにできなくて、本人が選択している。それならば、回復不能の「運命的」なことではないので、乗り越えることができる。
 予防も重要だ。 ひきこもりを予防す るためには、第一に、高校、大学の頃の、うつ傾向、不安傾向、無気力無感動傾向を早期に改善して おくこと、第2に、就職できない状況になった時、無感動、無気力になっていか ないように、職業労働以外のことをたくさん体験して、職業以外のところに 生きる意味の発見に努めることだろう。第3に、予防でなく、現在ひきこもりにある人は、これからでも乗り越えられる 方向の行動を起すことだろう。ロゴセラピーやマインドフ ルネス心理療法が有効かもしれない。
 近刊の本でも、同様の手法が用いられている。
Posted by MF総研/大田 at 22:27 | ひきこもり | この記事のURL