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河井寛次郎-至誠の人 [2013年04月22日(Mon)]

河井寛次郎-至誠の人

 NHK Eテレビで、昨日、陶芸家、河井寛次郎について放送した。
 河井寛次郎の誠実さにうたれた人が多い。直接お会いしていないが、彼 の伝記や、彼の言葉、彼の生きざまを知ると、現代の良寛さまと言ってよ いくらい至誠の人である。
 言っている言葉とやっている行動がずれている人が多いのであるが、言 行一致の希有の人である。次のようにみられている。
 「単なる民芸作家ではなく、詩人であり、哲学者であり、宗教にまで高 められた信念の人であった。誰からも 愛され、親しまれた歓びの人であ った」(橋本喜三氏、A34)

 「作家としては自分を捨ててひたすら造化の神に仕えるが、社会人とし ての自覚は道学者のように謹厳であっ た。立派な作品は立派な人間でな いと作れないと常に考えていて、まず自分の暮らしの筋目をきちんと立て る のである。」(橋本喜三氏、A181)

 彼の言葉は、深い自己を現す詩である。テレビが見せた「球体」は、 西田哲学で出てくる「無限球」(宇宙を映す自己)ではないだろうか。

 「心の美しい、生まれのたくましい詩人」(保田与重郎、文芸評論家、 A110)

 「河井は天性詩人である。自由律俳句で知られる尾崎放哉や種田山頭火 の代表作と比べて、河井よりすぐれて いると言う評家は信用しない」( 寿岳文章、英文学者、A109)

無位無冠・栄誉を辞退

 仕事において自分のはたす役割はごく小さく、しかも仕事の真っ最中に は、自分が完全に忘れ去られている。仕事は、自然の摂理と伝統と社会の 仕組みなどの重々無尽の恩恵のおかげで仕上がっていく。自分の力は全く 小さい。河井は、作品に自分の名を入れないようになる。
 自己を脱落した河井は、賞をもらうこともしなくなる。住む精神世界が 違うから、人間国宝というレッテルや文化勲章を「自分」がもらうという 欲がない。

グランプリ受賞を喜ばない

 「河井は、三十二年に「白地草花絵扁壷」(昭和十四年作)でミラノの トリエンナーレ国際工芸展でグランプリを受賞した。(中略)十二年のパ リ万国博のグランプリ受賞作と同様、川勝堅一が自己蔵品の中から出品し ていたのであった。受賞の喜びを聞くために陶房を訪ねると、河井はいつ になく不機嫌で、「その栄誉は作品がもらったもので、私がもらったもの ではないですよ。私の作品というのもおこがましい」と一こと語ったきり であった。」(A139)

 立派な額に入れた賞状が届く。

 「日本の伝統的な仕事が外国の人に喜ばれるのは、河井にもうれしいが 、自分が無心に作ったものへの賞状などみるのも恥ずかしい。新聞紙にく るんで押し入れのふとんの奥にそっとかくしてしまった。名誉ぎらいの潔 癖な創造者であった。」(A140)

文化勲章を辞退

 「松下幸之助が文化勲章の選考委員だったとき、受賞の申請書を書いて 欲しいと使いのものを寄こした。河井は手土産にもらったトランジスタラ ジオをとても喜び、「ご趣旨はたいへんありがたいが、このラジオこそ勲 章を貰うべきで私の仕事なんか恥ずかしいものですよ」といってその推薦 を断った。
 「一番うれしいことは仕事に精出すこと、一番きらいなのは、無形文化 財とか名誉賞の話、これなどは頭からふとんをかぶって寝込みたいくらい 」という。」(A177)

人間国宝を辞退

 「河井にも当然に(人間国宝の)指定の話があったが断った。「われわれ の仕事は個人ではなく、みんなの協力でやっているが、地方にゆけば名前 は知られていなくても、自分なんかよりうんと立派な腕を持って宝物を作 っている方がまだまだおられる。その方たちが先で自分の順番はまだこな いんだよ。それに人間を国宝と呼ぶなどナンセンスだし、民芸の仲間がも らうのはちょっとおかしいな」と親しい友人に話している。」(A138 )

 自己の無、自己の脱落という宗教的境地を得た河井にとって、作品は自分の力で作 ったものではなく、他力が作ってくれたからである。しかし、作品そのも のは自己を越えたものが作ったものだから、それを人々が喜ぶのは嬉しい。ものは 自己が作ったものでない、自分がないのだから自分は何もやっていない、自分はほめられるいわれはない。河井は 無我に徹した芸術家である。世間の賞賛などあてにならないのだろう。河井は俗世間にほめら れて喜ぶ人ではない。住む世界が違う。一方、世の中には社会のために大 事をなして、世間から認められていない人も多い。道元、良寛、白隠、 宮沢賢治、金子みすずなども当時の世間には認められなかった。当時、ほこりもしなかった。世間に知 られずして、しかし自分の役割をちゃんとはたしていく無名の大勢の民衆 。その人たちこそ、おごらず、つつましく、誠実であるから、背後の大き なものが見守っているのだろう。
 人はすべて「創造的世界の創造的要素」である。無名の無数の人が等し く創造的世界の創造的要素である。無限の過去から名もない無数の祖先や世界中の人々の働きのおかげで、この住みやすい日本が作られてきた。河井もそう思っていたのだろう。

参考文献
    A「陶工河井寛治次郎」橋本喜三、朝日新聞社
    B「火の誓い」河井寛治次郎、講談社
    Baその中の「火の願い」
    Bb「いのちの窓」
    Bc「自解」「後記」
    C「板散華」棟方志功、講談社
    D「棟方志功」日本図書センター
    E「浜田庄司」浜田庄司生誕百年記念実行委員会
Posted by MF総研/大田 at 22:07 | こころを描く文学 | この記事のURL