CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«自己の良心に耳を傾ける力を磨くこ とを教育の重要な任務とするべき | Main | 河井寛次郎-至誠の人»
NHK 河井寛次郎 [2013年04月21日(Sun)]

NHK 河井寛次郎

 今夜、午後8時からNHK Eテレビで陶芸家、河井寛次郎について放送します。 ご覧になってください。 「宇宙の器、器の宇宙」というフレーズがあります。 この人も、日本的霊性を自覚して、芸術で表現した人だと思います。
 京都に、彼の記念館があり、訪問しました。私の趣味は、このような人たちの作品を鑑賞し、 生きた土地をたずねることです。次の人たちの故郷に行きました。でもまだ訪問していないところもあります。いつか行きたいと思っています。
 日本には、日本的霊性、絶対無(フランクルのいう超越だと思いますが)を自覚した、次のような人たちが多勢おられます  西田哲学は、自覚的自己にも、知・情・意をいいます。知識、感情、意志です。 叡智的自己にも、知・情・意をいいます。知的叡智的自己、情的叡智的自己、意的叡智的自己です。とすると、絶対無に触れた人にも、知・情・意の3段階があると考えられます。 フランクルの「超越」が「絶対無」と考えられるのですが、絶対無にふれて、自己の絶対的否定 (自分の永遠の死)を自覚した人は、西田哲学では、人格的自己といいますが、これにも、知・情・意をいうことができるでしょう。1)知的に表現した人、2)芸術で表現した人、3)他の行動領域で社会的行動をした人たちです。いずれも、社会に顕著な貢献、社会(世界)の創造に参画しています。2)に該当するのが、河井寛次郎、東山魁夷、松尾芭蕉などでしょう。しかし、こういう偉大な人たちだけではないのだと思います。浄土真宗にみられる平凡な農民、職人にいた「妙好人」もそうだとおもわれます。鈴木大拙がこのことを紹介しています。
 マインドフルネスには、さまざまなものがあります。 フランクルのロゴセラピーも宗教段階ではありません。そうフランクルが説明しています。 マインドフルネス心理療法(SIMT)も、深い段階ではなく、浅い段階であり、宗教段階ではありません。叡智的自己まで宗教ではありません。自覚的自己、叡智的自己まで、自己を残して、自己の努力があります。しかし、最も深い意的叡智的自己は、良心であり、全体主義、画一主義、還元主義を見抜くほどの深いものです。自分の気付きにくいエゴイズムに気付き批判できる智慧です。ここまで、フランクルのいう「内在」であると思います。宗教ではないのだから、精神科医、すべての医師(各科にとりかえすことができない障害、苦悩をかかえた患者がいるから)が配慮してほしいとフランクルはいうのです。
 その奥の宗教への「扉」が開かれていますが、宗教の段階は誰もができるものではありません。 聖職者の支援がないと無理だといわれています。SIMTは、宗教ではないので、安心してとりくまれるといいのです。宗教以前と宗教段階の違いを西田哲学も説明し、他の宗教哲学の研究者も説明しています。
Posted by MF総研/大田 at 15:28 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL