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自己の良心に耳を傾ける力を磨くこ とを教育の重要な任務とするべき [2013年04月20日(Sat)]

フランクルの教育の使命論(4)

=自己の良心に耳を傾ける力を磨くこ とを教育の重要な任務とするべき

 フランクルによれば、教育 者、専門家による還元主義的教育が若い人を実存的空虚に追い込むこ とや全体主義、画一主義の若者や専門家を作ってしまうのです。
 フランクルは、全体主義、画一主義に対抗でき、意味を発見できるのは 良心であるから、自己の良心に耳を傾ける力を磨くこ とを、教育のもっと も重要な任務としまた使命とするべきであるというのです。

 「意味を見つける道具、器官は」ただ一つしかありません。それが良心 なのです。ユニークな生の状況におけるユニークな意味を見つけさせるも のは良心です。私たちは、ヨーロッパやアメリカ合衆国の多くの人々によ って、十戒がその無条件的効力を喪失してしまった時代に生きています。 しかしながら、良心が何千何万のユニークな生の状況における、何千何万 の戒律に気づかせてくれるのです。」(「imago」現代思想2013 vol.41-4、 青土社、p46)

 「今日、教育は、伝統や知識を伝えたりすることだけで満足したり、そ れだけに自己満足してはいけません。自己の良心に耳を傾ける力を磨くこ とを、教育のもっとも重要な任務としまた使命とするべきです。それで人 は、無意味感の漂う時代にもなお各々の生の状況のユニークな意味を見出 すことが可能となるのです。そしてさらに自己の良心に基づいて、全体主 義や画一主義に対抗できるのです。明晰で純化された良心によって、第一 に実存的空虚を、第二に画一主義を、そしてさらには全体主義を克服する のです。」(フランクル、広岡義之訳「意味喪失時代における教育の使命 」 (同 p46)

 これは、やはり、西田哲学と類似します。西田哲学によれば、意志的自 己よりも深い自己が叡智的自己である、その最も深いのが意的叡智的自己 (道徳的自己ともいう)であるというが、それは自己自身の悪を見る「良 心」であると言います。
 「道徳的自己があるということは、自己を不完全としてどこまでも理想 を求めることであり、良心が鋭くなればなるほど、自己を悪と感ずるので ある。」(『叡智的世界』)

 良心が鋭ければ、自己の悪、全体主義、画一主義、還元主義の心も見抜 くことができる。良心があれば、同じ人格として尊重されるべきクラスメ ートの自由を束縛したり、自殺においこむことはしない。 義務教育で軽視されていることが、「自己の良心に耳を傾ける力を磨くこ と」である。こうした教育がされないままに(というよりも専門家さえもが全体主義、画一主義、還元主義で教育する)、社会人となるべき時期に、 意味を見出せなくなる大学生が多くなる。社会に出ても、パートナーを束 縛したり暴力を振るうような「良心」を欠く行為をする人間ともなる。 専門家のエゴイズムのほか、こうした苦悩が家庭で起きている。 フランクルのいう教育の使命は、現代の日本の問題を予見していたのであ る。「心の教育」は、フランクルがいうように「自己の良心に耳を傾ける 力を磨くこ とを、教育のもっとも重要な任務としまた使命とするべきです 。」
 フランクルは「ヨーロッパやアメリカ合衆国の多くの人々によ って、十戒がその無条件的効力を喪失してしまった時代に生きています。」 といっています。伝統、つまりキリスト教が効力を失い良心を教えてくれなくなったというのです。日本で、これに類似する情況が、伝統の仏教のことでしょう。こうして、伝統のものが、 効力を失って、全体主義、画一主義、還元主義に対抗する良心を磨くことを教えてくれない状況になっているというのです。しかし、それでも、なお、人生は私たちをあきらめておらず、呼びかけているといいます。フランクルがいいたいことを西田幾多郎は、哲学として、論理的に説明しようとしたのです。ただ、哲学は説明であり、実際に働きだすのは個人の行動によってであるために、理解されても、実践されなければ、世界の創造に貢献しません。実践は、フランクルのいうように、創造、体験、態度によるといえるのでしょう。フランクルのいう「一人類教」こそ、西田哲学の「絶対無」でしょう。


<目次>フランクル、生きる意味、生きる価値、生きがい
Posted by MF総研/大田 at 21:27 | フランクル | この記事のURL