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フランクルの教育論(1) [2013年04月15日(Mon)]

フランクルの教育論(1)

 科学や学問といっても、全体主義、画一主義、還元主義による偏向があることが多いことをフランクルが述べ ています。私もこういうことを感じています。学問、科学のよそおいでも って、仏教や心のこと、自己存在、人間を単純に一つだけに還元する専門 家がいます。だから、現代の複雑な人間の苦悩の解決を支援できないこと になっていると思います。
 次がこのことについて触れているフラン クルの言葉です。

 「以 前に私は実存的空虚には二つの原因があると述べました。しかしまた第三 の原因もあり、教育は若者たちの良心を磨く代わりに、逆に実存的空虚に 拍車をかけ、これを助長することがあります。還元主義は、一切のものを 一つに帰一させます。たとえば、人間は「裸の猿」以外のなにものでもな いとか、人間はコンピューター以外のなにものでもないと主張するやり方 です。 私たちの神経組織をコンピューターにたとえて説明することは可能 です。しかし人間は無限にコンピューター以上の存在です。還元主義は科 学の専門化の産物なのです。
 「木を見る者は森を見ず」という言葉をお聞きになったことが有るでし ょう。専門家とは事実の木々のみを見て、真実の森を見ない人のことです 。しかし危険なのは科学者が専門家することではありません。多くの専門 家が一般化することが危険なのです。彼らはあまりにも一般的なものの言 い方をします。科学は常に一次元に限定されていることを、彼らは気づい ていません(図参照)。 この(a)が科学の平面(次元)です。その中で彼らは個々の出来事(1-4)を 見出しますが、それらは完全に無関蓮な出来事です。たとえば、進化途上 の突然変異であったり、なんら究極的な意味のない偶発的事件にすぎませ ん。ところがもう一つの別の次元(b)が存在します。そしてこの次元(b)で は、個々の事件は関連しているかもしれないのです。この関連が別な平面 のより高くより深い意味なのです。」 (フランクル、広岡義之訳「意味喪失時代における教育の使命」(「imago 」現代思想2013 vol.41-4、青土社、p47)

 西田哲学も、専門家が自分の浅い立場からしか見ずに、 それに合わないものを否定して、かえって人間の深い真実を知らないとい うのです。こうした還元主義を強く学生に教育すると、学生や社会人まで偏向し た見方を植え付けられます。 たとえば、初期の仏教ですと、苦の解決、縁起説、坐禅、悟り、無我、無常、他者の救済などさまざまな ことが含まれていますが、 縁起説だけを切り取って、これこそ仏教だというと、坐禅をしなくなり、苦悩の解決、他者の救済などをしなくなります。坐禅こそ仏教の核心だというと、苦悩の解決、他者の救済などをしなくなります。悟りこそ仏教の核心だと強調すると、苦悩の解決、他者の救済などをしなくなります。

 日本は仏教国であるために、多数の仏教宗派があり、学問的に何か一つを強調して教育する伝統があるために、一般の市民の苦悩の解決を強調する学問はほとんどみられません。 マインドフルネス心理療法が日本で開発されることができなかったのは、ここにあるのかも しれません。フランクルのように、内在とか現存在のような深い自己につ いていわれることがなく、あるひとつだけに還元しています。 西田哲学の ように、対象、作用、作用するもの(自己自身)、根底の人格(人間存在)、世界との関係、人生の苦悩解決などについて いわれることがなく、あるひとつだけに還元する傾向がありました。上記のようにフランクルの言葉です。
 学問という装いで、複雑で広範なことを言及している文献の中から、専 門家が独断である一つだけを重視して、「何何はこれしかない」「これだ けが仏教だ、何々の核心だ」と文献から、そのことについて触れたテキス トを抽出します。学問的です。しかし、文献は多くのことについて触れて いるので、よく検討してみると、フランクルのいうような、垂直の人間の 実相が観察されて、テキストのすべてが関連しあっていることを発見でき ます。すべてのテキストを捨てずに、矛盾するようなことでも深い立場にたつと関連しているのであることを説明するのが学問のはずです。 しかし、そういう見方をしないのが還元主義であり、学問、科学に もそれがあるというのです。還元主義でない専門家もいて、矛盾するよう な複数の出来事が深いところではつながっていると指摘する人もいます。 こういう立場が、フランクルの言いたいこと、ほんとうに、人間存在の全 体をつかむ方向だというのです。教育も、こうした深い立場で考えること ができる人を育てる教育をすべきだというのです。 全体主義、画一主義、還元主義の人を助長するような教育はおかしいわけ です。そのような教育をすれば、時代、環境の変化に応じた新しい、独創 的な解決策を生み出す人が育ちません。 伝統のとおり、長老が強調するとおりのことだけを画一的にするような傾向になってしまい、時代的な、個性的な、創造的な、社会貢献的なことをしなくなる傾向を助長するというのです。 フランクルは、そういう人ではない若者を教育すべきだというのでしょう。教育者が全体主義、画一主義、還元主義であっては問題なのです。親、教師、長老、専門家がモデルです。人は親のするとおり、教師のするとおり、長老のするとおり、専門家のするとおりの人物になる傾向があります。 心理や精神、心のケアなどに関連する科学、手法、支援方法、心理療法は、日本の 独創はきわめて少ないのではないでしょうか。 ほとんどすべて欧米で開発されて、輸入されているのではありませんか。

(続)
フランクルのこと セラピー(医療、心理療法)を超えて
タグ:還元主義
Posted by MF総研/大田 at 22:06 | フランクル | この記事のURL