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すべての人の根底の絶対平等 [2013年02月12日(Tue)]
4月に日本で開発されたマインドフルネス心理 療法(SIMT)の本が発行になります。 欧米の輸入ではなく、理論も実践も日本人にわかり やすいものとなっています。 重症のうつ病、不安障害でも治る人がいます。
患者・家族会 (2月23日、3月24日)(解決に向けて確かな方向を)
マインドフル ネス哲学研究会(4月13日)
マインドフルネス自己洞察瞑想療法(SIMT)研究会(4月 20日)
専 門家の育成講座・マインドフルネス自己洞察瞑想療法(SIMT) (次回は、2月16日、3 月16日)
心の健康クラブ(うつ病・認知症の予防、自己実現)(5箇所で毎 月)

宗教と宗教でないことの区別(6)

=セラピー(医療、心理療法)以外の領域への適用

すべての人の根底の絶対平等

 いじめ、虐待や犯罪の被害者などに見られる自己評価が極めて低い人や死が近いと思うがん患者や難病の患者の心の支援ができる可能性があるという根拠を 述べたい。
 肉親に次々と死なれた哲学者、西田幾多郎と、死刑囚島秋人さんの二人の歌が同じ心を 歌っている。  明日、死刑になるというのに何と穏やかな心だろう。殺人を犯した罪の意識もありな がら、罪びとである自分であっても生かしている何かが自己の根底にあることを感じたのだろう。 がん患者も、自分の死が3年後か、3か月後か、1か月後か、3日後か、明日かとおびえるかもしれない。しか し、この二人のような心になれば、最期まで意味ある人生を生きることができるだろう 。
  • 「宗教的体験は対象論理的に考えられるものではない。それはどこまでも絶対悲願 に包まれるということでなければならない。」(岩波書店、西田幾多郎旧全集巻11-444)
  • 「ノエマ的(対象的)には叡智的自己の内容として真、善、美以上の価値は見られないだろう。し かし、知的直観の一般者が絶対無の一般者によって裏づけられる限り、迷える自己とい うものが見られるのであり、なお一歩ノエシス的(作用、内奥の方向)の超越が残されるのである。そこに反 価値的価値の極地として宗教的価値というものが考えられるのである。それで、宗 教的価値とは自己の絶対的否定を意味するのである。絶対に自己を否定して、見るもの なくして見、聞くものなくして聞くものに至るのが宗教的理想である。これを解脱 というのである。」(旧全 集巻5-178)(  )は大田による注。
 絶対無に遭遇する時、人、自己はなくなる、自己が消滅する。自己の絶対否定である。いきながら自己が死ぬ。自分や人間世界の価値基準はない絶対無に包まれる。自己なくして見て、自己なくして考え、自己なくして行動する。
  • 「真に絶対無の意識に透徹した時、そこに我もなければ神もない。しかも絶対無 なるが故に、山は是(これ)山、水は是水、有るものは有るがままにあるのである。」 (旧全 集巻5-182)
  •  「宗教的意識においては、我々は身心脱落して、絶対無の意識に合一するのである、 そこに真もなければ、偽もなく、善もなければ、悪もない。宗教的価値というのは価 値否定の価値である。価値否定の価値といえば、背理の如く思われるかも知れぬが 、いわゆる価値というのはノエマ的方向に考えられた対象的価値である。・・・かかる 方向にあるものは、いつも当為的価値の否定の立場に立つものでなければならない、存 在価値は当為的価値を否定するごとに高まるのである。」(旧全集巻5-177)
 存在するだけで価値がある存在価値は、こうあらねばならぬという当為的価値を否定するごとに高まる。世間や自分が理想とみなす価値と現実の自分が乖離していると考えて苦しむ。自己評価が極めて低くなる。もはや、意志的自己、叡智的自己による対象的価値の問題ではない。自己存在の価値に苦しむ。
  • 「道徳的自己があるということは、自己を不完全としてどこまでも理想を求めるこ とであり、良心が鋭くなればなるほど、自己を悪と感ずるのである。かかる矛盾を越え て真に自己の根底を見るには宗教的解脱に入らななければならない、徹底的に自 己を否定することによって自己の根底を知るのである。その境地においては、善もな ければ悪もない、叡智的自己をなおノエシス的方向に越えることによって、 自由意志をも脱却し、そこには罪を犯す自己もない。善のイデヤというも形なきものの 影にすぎないのである。」(『叡智的世界』巻5,172頁)
 すべての人の根底は、真善美もなく、「真もなければ、偽もなく、善もなければ、悪 もない、有るものは有るがままにある、人間、自己の決めた価値からすべて超越している。 罪深くみにくいと思っていた自己はない。 これを自覚すれば、道義的・法的罪を犯した苦悩、障害あるひと・犯罪や虐待の被害者 ・捨てられた・愛されなかったという人や精神疾患などにある低い自己評価、がん患者や高齢者の死などの苦悩を克服できそうである。人はみな人間の価値を越えた根底を持つということは、 教育、医療、福祉、介護、ビジネスなどすべての領域で、 すべての人が尊厳をもって扱われるべき根拠でもある。
 これらの問題は、うつ病ではない、つまり、病理ではないが、深い実存的 苦悩、自己存在の価値否定の苦悩の領域へのマインドフルネス、アクセプタンスによる援助である。 最も深い自己洞察瞑想法(SIMT:Self Insight Meditation Technology)の深い領域といえる。その方 向があることは、西田哲学が示している。世界的に評価され始めた世界にほこるべき西田哲学のある日本でこそ開発されるべきマインドフルネス心理学であると思っている。
 まもなく出版される本は意志的自己のうつ病、不安障害などの病理を改善するセラピー(医療、心理療法)の一応の標準化であり、うつ病や不安障害などが治らないとか再発を繰返すかたは活用して治していただきたい。 私は今後は、それの水平方向への応用的展開(病理とそうでない領域)と、内奥の方向への深いSIMTの開発にすすみたいと思う。水平的展開をする場合、技法を追加、修正することが必要になるが難しいことではない。
 後者は欧米にもない、全く新しいマインドフルネス、アクセプタンスであるから、大変難しい。何年かかるかわからない。西田哲学を参考にして自己存在の真相と救済方針の仮説を作り、その仮説から解決の技法を提案し、試験的実践に応じてくださるクライエントの人に実践していただき、効果を評価し(実存的問題の評価基準も難しい)、改良していく、そういうステップを続けることになるだろう。
宗教と宗教でないことの区別
 =宗教レベルの臨床心理学も必要
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Posted by MF総研/大田 at 19:00 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL