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自己存在の消滅、無価値についての苦悩、宗教的マインドフルネスが必要 [2013年02月08日(Fri)]
4月に日本で開発されたマインドフルネス心理療 法(SIMT)の本が発行になります。 欧米の輸入ではなく、理論も実践も日本人にわかりやす いものとなっています。 重症のうつ病、不安障害でも治る人がいます。
患者・家族会(2 月23日、3月24日)(解決に向けて確かな方向を)
マインドフルネ ス哲学研究会(4月13日)
マインドフルネス自己洞察瞑想療法(SIMT)研究会(4月20 日)
専門家 の育成講座・マインドフルネス自己洞察瞑想療法(SIMT) (次回は、2月16日、3月16日 )
心の健 康クラブ(うつ病・認知症の予防、自己実現)(5箇所で毎月)

宗教と宗教でないことの区別(3)

=自己存在の消滅、無価値についての苦悩、宗教的マインドフルネスが必要

対象的なことの苦悩でなく自己自身の存在についての苦悩(2)

  • 宗教と宗教でないことの区別(2)
     この記事で、自己存在にかかわる問題があると言った。「実存的苦脳」である。
    就職、金銭、対人関係など、思考作用の内容となる「対象的なことがら」に関わる「心理的苦悩」で はなく、作用の内奥に働く自己存在にかかわる実存的苦悩がある。自己存在の消滅、すなわち、 死の不安恐怖、自己存在の無価値観などである。後者があるために、さまざまな苦しい心 理現象、症状、問題行動として現れているだろう。
     「対象認識の知識的問題ではないことはいうまでもなく、我々の意志的自己の 当為の道 徳的問題でもない。我々の自己とは何であるか、それは何処にあるので あるか、自己その ものの本体の問題、その在処(ありか)の問題である。」(岩波書店、西田幾多郎旧全集 11巻412頁)
     我々の自己とは何であるか、それは何処にあるので あるか、自己そのものの本体の問題 、その在処(ありか)の問題である。実存的問題である。
     うつ病や不安障害なども、深刻化すると、自己存在の消滅、自己存在の無価値観に至る 。 こうなると、浅い心理的マインドフルネスでは効果が弱いだろう。自己存在があやういのに、対 象的な出来事などを考慮している余裕がないからである。自己洞察瞑想療法でも、自分の 価値実現ということを言う。だが、それは、2,30年も人生がある人が、何かの目標を いだいて自己実現の意志作用を行使していくことである。だが、 自己存在に迷う人、残された余命の長くない人には、意志作用による目標では満足できな いのはあきらかであろう。探求する「価値」が「実存的価値」となるべきである。
     こうした、自己存在にかかわる深い苦悩の解決の方向は、西田哲学の次の言葉の中にあ るはずである。
  • 宗教と宗教でないことの区別(1)

     深い宗教において、自己が絶対者に接して、自己が死にきるのである。生きながらにし て「自己 が絶対無となるということ」(397頁)である。「自己が棄てられる」(407頁) 、「絶対否定に面することによって、我々は自己の永遠の死を知る」(395頁)のである。
     多くの悩みは、自己をそのままにして、対象的に考えられた心理的苦悩である。 「道徳的苦悩・・・良心的苦悩には、なおどこまでも自己というものが ある。ただ自己自 身の底からの苦悩である。」(412頁)
     自己の絶対の死を知るのは、自己をそのまま残して、対象的、知的、心理的に知るのではない。 自己が絶対に無となることで知るのである。生きながら死ぬのである。
     生きているうちに、自己がないということ、「自己自身の死を知ることは、死を越える ことである、しかも単に死を越えた ものは生あるものでもない。自己自身の死を知るとい うことは、無にして有とい うことである。絶対の無にして有ということは、自己矛盾の極 致でなければなら ない。しかも、そこに我々の真の自覚的自己があるのである。」(408 頁)
     従来、死に行く自己、無価値な自己と迷い苦しんでいた心理的苦悩が、真の自己を自覚することにより、実存的価値を発見する。新しい自己に於いて生きていくのである。 宗教的死は、新たな生をもつ。新しい真の自己によみがえる。
     こうした西田哲学の論理から、がん患者の苦悩、自己の無価値、自己の抹殺などの実存的苦 悩の克服を支援するためにも、マインドフルネス心理学として必要であることが了解されるであろう 。宗教的レベル、つまり、実存的レベルのマインドフルネス心理学も必要である。こうした領域では、現在は、ほ とんど心理学的なケアがなされていないのではないか。 こういうレベルまで含んだ広義のマインドフルネス自己洞察法を私は、 自己洞察瞑想法(SIMT:Self Insight Meditation Technology)とよぶ。 (次の記事で述べる)
     欧米は、そもそも、こうした自己の絶対無の哲学でないので、マインドフルネスといえ ども、このような深い問題には、まだ立ち入っていないだろう。ただし、マインドフルネスが盛んになる前の、フランクルのロゴセラピーは、実存レベルだという(ただし、宗教的意味合いをもたないという)。 日本では、実存レベルとさらに深い宗教レベルのマインドフルネス心理学の可能性は、西田哲学にあると思う。西 田哲学の臨床心理学化、こうした問題についての支援の論理の構築、支援方法の定型化、 臨床での確認を続けていく必要がある。日本のマインドフルネスには、その可能性が大き く、やらねばならない課題が多い。

    (続く)
    <目次>宗教レベルと宗教でないレベルのマインドフルネス心理療法
     =宗教と宗教でないことの区別
     =宗教レベルの臨床心理学も必要
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  • Posted by MF総研/大田 at 21:43 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL