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謙虚と誠実と清純 [2012年11月28日(Wed)]

東山魁夷画伯(2)
 日本文化の背景にあるもの
 =誠実、謙虚、素朴、無我(自我を捨てる)


 自我を捨てる、そこに、大いなるものが働く。自他一如、しかも、鏡の内こそ真実 。東山さんは、外のもの、虚妄、を追いかけない。それは、俗的な集団の中での名誉 、地位、虚飾の交わりなどであろうか。すべて世界は自己の心の鏡に映る。それだけ が実在であり、外にあるのは虚影である。東山さんの芸術、画と文は自己の心である 真実を描こうとしているが、容易なことではない。ということは容易に理解されない のではないか。日本人は、別な方向へ向かっていた。そこに東山さんの孤独観があっ たのではないか。
 心の病気も、自我の判断で考え、逃避するから、長引く。自我をもちださず、あるがままを受け入れると、かえって治る。それがマインドフルネス心理療法への応用。

誠実、謙虚、素朴、無我

 「泉はいつも、
 「おまえは、人にも、おまえ自身にも誠実であったか」と、問いかけてくる。私は 答に窮し、心に痛みを感じ、だまって頭を下げる。
 私にとって絵を描くということは、誠実に生きたいと願う心の祈りであろう。謙虚 であれ。素朴であれ。独善と偏執を棄てよ、と泉はいう。
 自己を無にして、はじめて、真実は見えると、私は泉から教わった。
 自己を無にすることは困難であり。不可能とさえ私には思われるが、美はそこにの み在ると、泉は低いが、はっきりした声で私に語る。」(A14)

 深い心のマインドフルネスである。感覚や行動など表面のマインドフルネス、アク セプタンスでは見えない。自分のエゴ、汚い心。「誠実であったか」「謙虚であれ。 素朴であれ。独善と偏執を棄てよ」。これは、自分の心のあるがままを直視する 日本的マインドフルネスであろう。親鸞聖人も自分の罪悪を常に直視していた。それで も救済された。「自己を無に」しないで、エゴ、我を自分や周囲の人に押し付けて、 苦悩させる。自分の「魔」を直視するところに「美」があると。川端康成も美と欲と 罪を描いたのだと思う。画伯には泉が自分の悪、エゴを見よと語りかけてくる、とい う。
 東山さんは禅者ではない。禅を修行しなくて、このように自己を見ておられる。い つも(本当に、いつも、である。家でも、電車の中でも、職場でも)、奥底の何物か が、誠実であれ、自我に執着するなとささやく。たしかに、困難である。しかし、そ の自己の本質から離れたくないと、願い、すこしでもそちらへ向かうならば、泉がや さしい眼差しで見ていてくれるのだろう。
 誠実、いつも自分の小ささを自覚し心に痛みを感じる、自己を無にすると真実が見 える、いつもあちらからささやいている。これを、自己洞察瞑想療法にも取り入れる 。画伯は、心の病気のレベルのことではないが、心の病気のレベルや他者を苦しめる 人間関係にも通じる。自己を無にする、不安や症状、他者の言葉など自我による善悪 の評価をしない。他者に向かう自分のエゴに気づき、押し付けない。

おごり無く、謙虚、自分を未熟と

 「芸術の道では幸福に恵まれるということは恐ろしいことではないだろうか。私の 芸術の立脚点は、謙虚と誠実と清純なところにあるべきではないか。世の中の拍手、 そして賞の栄誉、ということに、もし自分が喜んでいれば、私は最も大切なものを見 失うだろう。」(D107)
 世の中の拍手、そして賞の栄誉を喜ばない。謙虚と誠実と清純とは、人間の根底の 本質。宮沢賢治の『ひのきとひなげし』にも同様の言葉があった。自分に得意になる 者は、美しさの小さな泉を枯らしているのです、と。自分を偉いとおごる者、取り巻 き連中に偉いと言わせる者は最低の人間だという。東山芸術や宮沢賢治とは無縁の「 真っ黒い巨大な虚飾のもの」を作ろうとする。しかし、それは泉、自己を生かしてい るものによって永遠に賛美されるものではない。画伯に次の言葉がある。

無心の制作と奢り無き誠実

 「障壁画は私が描いたのではないということであります。森本長老の熱意と、その 背後の鑑真和上のお導きによって、私は無心で筆を動かしていたにすぎません。」( B67)
 唐招提寺の障壁画を描かれた後のご文章です。あれほどの傑作を描かれたのに、自 分が書いたものではない。西田幾多郎が、ものとなって働く、といったこと。自己が 脱落している。自分でうぬぼれず、おごらず、まさに深い宗教者を見る思い。
 それに比べて、自分を威張り、驕り、うぬぼれる者の多いのを見るのは、見苦しい ことです。自己を誇るものは美しさの泉を枯らしているのだ、とは宮沢賢治の言葉で ある。

無常

 「私はいまでも無常ということが人生の真実であって、人はそれを深く感じるとこ ろに生きる力が生じ、生きる態度が決められる者だと思うのである。」(C110)
 「いちばん喜んでくれるはずの両親も兄弟もいまは一人もいない。しかし、このさ びしさ、むなしさがあるために、その後、運命がどんなに私に微笑しても、いつも謙 虚でいることが出来るのかもしれない。」(D102)

芸術は死後に評価

 「結局、芸術作品は、その作家の死後に、正しい評価を下されるものである。」 (D186)
 どの分野でも、死後、評価されるものが本物なのだろう。画伯は生前もであったが 。
 日本のマインドフルネスは、こうした深い自己をみつめた多くの古人に導かれて、 さまざまな苦悩を乗り越えていく道を探る。青い鳥は、よそにはない。自分のところにある。
参考書
A=『泉に聴く』 講談社文芸文庫 
B=『日本の美を求めて』 講談社学術文庫
C=『美の訪れ』 新潮社
D=『旅の環』  新潮社


★東山魁夷(1)

(続く、いつか、また)
Posted by MF総研/大田 at 18:48 | こころを描く文学 | この記事のURL