CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«金子みすずの世界=神さまは蜂のなかに | Main | 謙虚と誠実と清純»
東山魁夷画伯=日本文化の背景にあるもの [2012年11月26日(Mon)]

東山魁夷画伯
 日本文化の背景にあるもの

心の泉を知らない不幸

 日本人は、独特の精神構造を持つ民族であって、鈴木大拙は、日本的霊性といった 。それで、仏教もインド、中国(襌、浄土教)とは違う日本独自のものに変わった。かえって深く、庶民的なものになった。 それは、宗教者に限らない。専門家の僧侶、学者ではなく、さまざまな職業の人にも、日本的霊性がつかまれた。日本画家の東山魁夷画伯を見てみよう。
 日本的マインドフルネスは、こうしたひとたちの心に近づくものである。 日本的マインドフルネスは、セラピー(医療、心理療法)に限らない。
 私は東山魁夷画伯の絵が好きである。私は心の探求をしているので、心を表現する 芸術に向かってしまう。私は、こうした人々の生きた土地を歩くのが好きである。世阿弥、利休、松尾芭蕉、良寛、西田幾多郎、片岡仁志、道元、石川啄木、宮沢賢治、川端康成、岡本かの子などをめぐったが、まだ行きたいところがたくさんある。忙しくていけないが、ゆっくりとした時間ができたら行きたい。そして、マインドフルネスの探求をする人々と一緒にめぐりたい。 最近、めぐってみたいと思っているのは、志賀直哉、金子みすずの遺跡(?)、西田幾多郎の師・雪門玄松の終焉の地(福井県おおい町付近)であるが、なかなか機会がない。 西谷啓治の墓は能登にあるはずだが、現地の人さえ知らないと言った。もう一度、さがしてみたい。
 東山魁夷画伯は風景画家と思われているのだろうが、次のような言葉 を見ると心を表現しているのだろう。

心に泉がある

 次の言葉がある。
     「森の中に、ひそやかな音を立てて、澄んだ水を流し続けている泉がある。そこに は束の間の憩いがある。それが僅かなひとときのやすらいであるとしても、荒野を飛 び続ける鳥には救いである。地上に生きる者にとっては、一日は一日で終りであり、 明日は新しい生であるからだ。」(A12)
 東山さんは、人の根源の心を自覚している。それを「泉」と呼ぶ。人が自分の根源 の澄んだ泉を自覚できるならば、救いを得るのだ。

泉を自覚しない不幸

 自分の内奥の心を知らず、表面の現象だけだと思う人が多い。不幸である、と思っ ている。
     「その泉を、いつ、どこにでも見出し得るということは困難である。早く飛ぶこと だけに気を奪われているからである。鳥たちの最も大きな不幸は、早く飛ぶことが進 歩であり、地上の全ては、自分たちのために在ると思い違えていることである。」( A13)
     「あわただしく時が過ぎ去って行くと、鳥は思っている。時は無限であり、不動で あり、過ぎ去っていゆくのは鳥自身であることに気がつかない。何かにつかれている かのように、強く、早く羽ばたこうとあせる。それが、鳥自身がこの地上から、より 早く消え去る不幸を招くことに気づかない。」(A12)
 鳥とは私たちのことである。金や名誉や地位をあくせく追いかける者には、この泉 を発見することはできない。自分の考えるのが絶対だという我見をふりかざす人も思 い違いをしており、それについていく小鳥は不幸である。時間についても思い違いし ている。自然にさからい、こざかしい頭で何かしようともがくと、かえって自分や周 囲の人の生命を縮める。

すべての人が「泉」をもつ

     「誰の心の中にも泉があるが、日常の繁忙の中にその音は消し去られている。もし 、夜半、ふと目覚めた時に、深いところから、かすかな音が響いてくれば。それは泉 のささやく声に違いない。」(A13)
 東山さんもすべての人の根底に泉があるという。「泉」は東山さんだけが持ってい るのではない。みなすべての人が「泉」をもっているのだが、くだらぬものを追い回す ために、見落としているのだ。いつもあるから、時々、奥底からささやきかける。

窓の外は架空、内こそ真実

 ただし、自己の心の鏡があって、外の景色が映っている、というものではない。鏡 という実体を認めるのではない。
     「孤独の部屋の真中に鏡があって、窓の外の世界が映るのを、部屋の住人は見つめ る。直接、窓から外を除くということに、あまり興味を示さない。窓の外は架空の世 界であり。真実は鏡の中だけに映る。
     この部屋に住む人は、鏡の中の真実を各自の方法で形象化しようとする。自分の言 葉で語ろうとする。それは易しい仕事であるはずがない。しかし、孤独な密室の中で の、その住人自身のための作業であるにもかかわらず、いや、それであるからこそ、 そこから生み出されたものは、窓の外の世界での普遍的な存在意義を持つといえる。 より深い真実に触れることを人は希うからである。」(C180)
 日本の芸術家に、このような人が多い。 能、茶道、俳諧、詩歌、絵画、童話、小説などで表現した。 今、 「高齢者のためのマインドフルネス心の健康体操」の講演をさせていただいているが、 最終会は「心豊かに生きる」である。定年後は、こうした深い芸術を味わい、画集や文庫本を持ち、その人たちの生きた軌跡をたどる旅をしたらどうですか、とすすめるつもりである。

(続く)

参考書
A=『泉に聴く』 講談社文芸文庫 
C=『美の訪れ』 新潮社

Posted by MF総研/大田 at 20:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL