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金子みすずの世界=神さまは蜂のなかに [2012年11月24日(Sat)]

金子みすずの世界

 =神さまは蜂のなかに

 金子みすずの詩は、不可解なものが多いです。
 「こだまでしょうか」の最後も不可解ですと、申し上げましたが、 「蜂と神さま」もそうです。

→詩の全体はこちらのHPでご覧になれます。
こちらに詩の索引 「蜂と神さま」

最後が

  「日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、 小ちゃな蜂のなかに。」
 この最後も不可解ではありませんか。 「こだまでしょうか」 の記事と同様です。 次のように申し上げました。
     「日本の芸術家には、自他不二の哲学を持つ人が多いので、彼女もそうではないか と、その 視点から読むと腑に落ちますが・・・。
     自己と世界が別ではない世界。自己が自己を没して、自己が他者(相手)世界を自 己に包み映す。」
 日本人は、鎌倉時代初期に、親鸞と道元によって、自他不二の自己を自覚したので す(鈴木大拙、西田幾多郎)。自己のなかに世界があり、世界のなかに自己がある。 自己のなかに絶対者があり、絶対者のなかに自己がある。 「蜂と神さま」も同様です。みすずと蜂が一つですから、蜂(みすず)のなかに絶対者(神、仏) があり、絶対者のなかに蜂(みすず)がある。
 みすずは、親鸞の後継者、浄土真宗の僧侶の説法を聴いたそうです。江戸時代から 明治にかけて多数の妙好人が出現しました。自分と阿弥陀仏が一体という自覚を得た 庶民、無学の人たちです。金子みすずもそうなのですね。彼女は無学ではありませんが。
 みすずを、このように深い境地に導いた僧侶がついこのあいだ大正年間にいたので す。坐禅によらずに、説法だけ(あるいは、みすずは念仏したのでしょうか) で、自分は絶対者(神、仏)と一体であるという深い境地をえたのです。 坐禅によらずに、念仏と説法を聴くことで、こんな深い境地を得て、詩にしているよ うです。 金子みすずが、現代もなお愛されているのは、見えない世界がありそうで、わからないところが多いけど、日本人 の自他不二の霊性を読んでいるからでしょう。 自分のなかに神があり、神のなかに自分がある・・。日本的です。
 なぜ、「仏」と書かなかったのでしょうか。芸術家は、秘密にするところがあるようです。さまざまな人にさまざまに解釈する余地を残します。 それでしょうか。川端康成も、批判されても馬鹿にされても秘密をあかさなかったようです。「秘すれば花」といった古人がいます。
タグ:金子みすず
Posted by MF総研/大田 at 19:54 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL