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仏教の目的は「現実の苦」の解放だったはず [2012年11月09日(Fri)]

インド、中国の仏教、襌は出離的(8)
 =元来、仏教の目的は「現実の苦」の解放だったはず

 日本の仏教も含めて従来の仏教は、出離的だと西田幾多郎がいった。出家向き、僧侶向きと いうことである。仏教の真髄を得たら、現実世界で能動的に働くはずと西 田幾多郎が言ったのであるが、深いものばかりでなく、外部のいわば浅い意識のところで深く苦しむ人のことに積極的に動いていないように見える。  これは、仏教や西田哲学の専門家(出家)、研究者への宿題であって、 まだ、回答を見出していないのではないか。それを考えてみたい。

(A)仏教の目的は「現実の苦」の解放だったはず

    (この部分は、11月4日に行った講演の内容の一部です。何回かに分けて掲載します。第1=日本的霊性、第2=川端康成の創作方針、第3=千羽鶴、でしたが、第3は時間がなくてできませんでした。)
 元来、仏教は人々の現実の苦を解決するはずのものであった。初期仏教の核心を概観する。
  • 四諦が仏教である。苦のありさま(苦諦)、苦の原因(集諦)、苦の解決の原理(滅諦)、苦の解決実践(道諦)を説明する。
      「四諦は、釈尊の多くの説法の中でも、最も重要とされる教説に、最も多 く登場している。」(C,142)
      「四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦であり、略して苦集滅道ともいう。 」(C,141)
  • では、「苦」とは何か。現代人の苦と違うのか、同様か。
      「「苦」とは何か。・・・「自己の欲するままにならぬこと」「思いどお りにならないこと」と解釈される。」(C,120)
      「「苦の本質」はいったい何か。・・・次の4種が「苦の起源」として数 えられる。すなわち、(1)欲望(およびその変形)、(2)無知(およびその 変形)、(3)人間存在そのもの(実存といってよい)、(4)無常(たえず生 滅変化する)。」(C120)
      「人間存在そのもの(いわゆる実存)に根ざす苦」のなかで、四苦八苦が 説かれる。
      「生老病死の「四苦」に、さらに愛別離苦(愛するものと必ず離れなけれ ばならない苦)、怨憎会苦(怨み憎むものと、どうしても会わなければな らない苦)、求不得苦(求めるものが、どのようにしても得られない苦) 、五蘊盛苦(総括して、一切は五つの集まりであり、そこに充満している 苦)・・・。両者を合わせた「八苦」」(C,123)
  • もう一度、四諦の説明を見る。 苦から解脱する実践(道諦)が説かれる。苦から解放される実践があるという。 その実践の結果、「ニルヴァーナ(涅槃)ないし解脱」の境地になる。 これが、日本的霊性という根底と関連がある(注)。すなわち、初期仏教にも、現実の苦の解決と、根源的な解脱の2面がある。
      「苦諦=苦に関する真実は、苦の本質を明示し、つかみとる。
      集諦=苦の 集(成立)に関する真実は、いかにして苦が生起し、成立するかを探求し 、解明する。・・・
      滅諦=苦の滅に関する真実において、それからの超越 であるニルヴァーナ(涅槃)ないし解脱が据えられる。・・・
      道諦=苦の 滅に赴く道の真実として、先に説明した八正道をそのまま受け入れて置く 。」(C,142)

      (注)インド大乗仏教、中国襌浄土教で変化し、日本になるとさらに変化して、結果ではなく、根底の存在論的なものとなる。根源的なものが現代仏教から見失なわれたと西田、鈴木、竹村などの諸氏が指摘した。苦の解決支援に欠けるというのは中村氏である。)
 現在の日本人もこのような「現実の苦」が充満しているように見える。 「自己の欲するままにならぬこと」「思いどおりにならないこと」が満ち ており、うつ病になり自殺する人が多い。他者へのいじめ、暴力、虐待で はけ口を求め、犯罪を犯す人もいる。 それぞれの職業の現場に苦やストレスはないのか。医師、看護師、保健師、心理士、教師、福祉関係の 職業の人、ビジネスマン、公務員、主婦、スポーツ家、芸術家、芸能者・・・。自分とクライエントに苦しみやストレスはないのだろう か。苦やストレスの解決のため、仏教が役にたっているだろうか。
 現実の在家の苦の解決のため伝統仏教が貢献しているかというとそうは 見えない。
    (注)参照文献
  • (C)1987 中村元・三枝充悳「バウッダ」小学館。講談社学術文庫にも ある。(  )はページ。

現代の仏教は人々の苦によりそっているのか

 現在における人々の「現実の苦」は何か。初期仏教でいう、うつ病、不安障害、パーソナリティ障害、暴力、虐待など苦が充満し ているように見える。こういう視点から言えば、日本の伝統仏教(天台、 真言、曹洞、臨済、真など)は、こういう視点からは、積極的に能 動的に、この世での家庭や職場での現実の 苦の解決支援に働いているのか考えるべきだろう。
 こういう視点からの批判として、仏教系の多くの新興宗教が起きて、今 も人々の現実の苦によりそった活動をしているように見える。心の病気の人でも受け入れて支援している。
 もう一つの批判として、仏教や襌の応用だとして、全世界に普 及し始めているマインドフルネスである。これが現実の苦(うつ病、不安障害、家族の不和、違法薬物依存など)の解決に貢献し ているが、仏教的なものに似た実践と哲学(欧米のマインドフルネス者も意識的なものを超えたものを言っている)があり、マインドフルネスもさまざまな流派が開発されており、世界的な運動になっているので、後世の歴史家は第2の大乗仏教運動(大乗というのは、広く救済すること)というかもしれない。従来の仏教が出離的な傾向を強めて部内の人だけの満足に留まり、その時代の人々の現実の苦を解決できないときに、そのような運動が起きる。
 このような状況で、伝統仏教の存在意義は何なのだろう。法事や観光で 生き延びていく方針なのか、やはり、現実社会の苦を扱わず出離的な傾向を継続していくのか。 それとも無縁の人々に働きかけて、深刻な苦の中に入っていかれる方向が検討されているのか。
   (続く)

インド、中国、日本の仏教は出離的

 =日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない
  • (1)
    西田幾多郎は仏教の現状を批判した
  • (2)
    坐禅が仕事のような状況であった僧院での仏教は 感情が渦巻くような職場、家庭でどうすればいいのかわかりにくい
  • (3) 昔の仏教は同じような状況が続く僧院の中で発展したので
    現代人のように、家庭や職場のように激しい感情が渦巻く状況は少なかっ た
  • (4)
    現代人の苦の解決レベルのことを参考にできる仏教研究書は少ない
  • (5)
    封建時代の仏教は民衆の苦の解放を説くことができなかった
  • (6)
    マインドフルネスを1年受けると病気の改善のほか人生観の変化がみられ る
  • (7)
    仏教はわかりやすいごほうびで誘って、予想しなかったごほうびを与える
  • (8)
    元来、仏教の目的は「現実の苦」の解放だったはず
  • (9)
    1)深い根底の「自他不二」の哲学が失われた。 2)教団の外部の人の現実の苦悩を解決する活動「慈悲」の実践が なされてこなかった。
  • (10)
    「難しい言葉を使ってわけのわからぬようなしかたで述べることは「骨董 趣味」ではあるかもしれないが、それはもはや「仏教」ではないのである 。」中村元氏)
  • (11)
    自 分だけ救われて、他者にやさしく説かないと死んだ仏教。浄土真宗の蓮如上人もそう 言ったと中村元氏。
  • (12)
    遠藤周作は、日本的なキリスト教を作った。自分の悪を 監視し罰する厳しい父のような神ではなく、 いつもそばにいて自分の悲しみや苦しみ を包み込んで、一緒に背負ってく れる「母なるもの」「永遠の同伴者」であるような 神。やはり、自他不二的である。
  • (13)
    宗教としての仏教は心の病気などを扱わないので、マインドフルネスとは違う。
Posted by MF総研/大田 at 08:52 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL