インド、中国の仏教、襌は出離的(3) [2012年11月05日(Mon)]
インド、中国の仏教、襌は出離的(3)インド、中国の仏教、襌は、僧院の中で練られたもので、 そこには、苦悩はなかった。 苦悩が渦巻く在家の家庭、職場で練られたものではない。おだやかな僧院と激しい感情の渦巻く在家世界インド、中国の仏教、襌は出離的と言われます。日本の襌寺の中の襌も そうだったでしょう。 そこは、僧院であり、序列が決まっていました。師と弟子です。他の人間 関係はありませんでした。 仏道の探求という一つの目標だけでした。師弟関係は 絶対的ですから、何十年も決まったとおりに修行と生活がつづいていまし た。他の人間関係がないので、比較的に感情的になることは少なかったで しょう。感情についてのマインドフルネスはあまり訓練する機会がなかっ たでしょう。しかし、家庭や職場では、夫婦、親子、職場の同僚、上下関係、顧客と の関係、生徒と教師、医師と患者など輻輳した人間関係があり、「感覚」 ではなく、感情が渦まきます。 感情にかられて暴言、暴力、無茶な行動をして、相手を怒らせます。そ れが自分にはねかえってきます。うつ病になります。 僧院では、人間関係や仕事でうつ病になることはなかったでしょう。 人の根底は、仏教を通して、不変であったという仏教学者がいます。 人の根底の本質は不変であろうとも、時代と場所、情況で変わるべきも のがあるのでしょう。マインドフルネスは、仏教や襌を応用したという欧 米のマインドフルネスの研究者がいます。仏教や襌も時代と場所によって 変化してきました。 現代は、状況が変わっています。昔よりも、人間関係からくる感情が多 くなっているはずです。 現代は、仏教、襌は現代にあわせて変化するものでしょう。根底の本質は不変でしょうが、現れるものは変化する。初期仏教からさまざまな大乗仏教へ、変化し、中国襌と中国浄土教に変化し、 日本の鎌倉時代の浄土、襌に変化し、江戸時代の公案襌に変わり、昭和にも、偉大な僧侶や哲学がありました。現代はどうあるべきなのでしょう。 感情のマインドフルネス、アクセプタンスが特に 、重要になると思います。感覚のマインドフルネスでは不十分で、思考、 感情のマインドフルネスが重要になるのが、現代の状況でしょう。 インド、中国、日本の仏教は出離的=日本の仏教も外部の人々の現実苦の解決支 援の手法に熟練していない
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Posted by
MF総研/大田
at 21:40
| さまざまなマインドフルネス
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