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日本の国は病んでいる [2012年07月23日(Mon)]

日本の国は病んでいる

 7月23日、NHKテレビの「クローズアップ現代」で
“そこに自分の考えはあるか”
音楽評論家・吉田秀和の遺言

を放送しました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3232.html
 音楽評論界の“最後の巨星”吉田秀和さんが98歳で亡くなった。 NHKオンラインで紹介している、次の言葉が痛い。
     「新鮮な視点で“自分で考えることの大切さ”を発信し続けた吉田 さん。」
     「日本人の「大勢順応主義」への批判精神だった。世間に流されず 、自分の感性に忠実であろうとするその姿勢」
     「晩年、特に原発事故に大きな衝撃を受けた吉田さんは、「日本人 にはまだ自分で考える力が備わっていなかった」と悔やみ続けたとい う。」
 「日本の国は病んでいる」という。情報隠し、独断、無視、傍観、 エゴ、迎合、自分の考えを持たない・・、他者に自分の考えや立場 を押し付け自由を抑圧する人、他者を苦しめる一般の人や専門家、 わがままを強く言ってスタッフを苦しめる人、 これらは、学問にもある。自由を束縛する大人の醜い行為、家庭内の暴力を見ている子ども、大人社会をまねて子どもの世界にもエゴが蔓延している日本。個性を生かす自由を許さない組織。だが、それは沈滞化する。 日本の多くの家庭、組織がそうなのかもしれない。吉田秀和さんの嘆きはそうなのかもしれない。
 “自分で考えることの大切さ”
 真剣に自分で考える、そういうことが、マインドフルネス、アクセプタンス(M&A)なら、それは、日本に昔からあったもの。 西洋の二元観、意識的自己の立場に執着した「自己」の哲学を、欧米の ものに迎合、納得せず、徹底的に「自分で考えること」をつらぬいた 西田幾多郎による西田哲学。日本にあったのに、自分で考えることを せずに、欧米の人に現代人の心の病への応用という栄誉をゆずった。 マインドフルネスの実践にかかわる 学問に、心の病の軽減に応用できると言える自由がなかった、自由を抑圧されていた、自分 で考えることがされなかった。
 学問も哲学も専門的な技術においても、自分の利益で浅い了見で、 ある立場を作って、そこから深いもの、至誠のものを排斥、否定、批 判するということが起きる。今、 「日本の国は病んでいる」。さまざまなところで、心無い人のエゴに よって人が苦しんでいる。自分が生まれ、生き、死んでいく環境を暗 いものにするエゴ。エゴは人間に本質的であるが、 それで、他者を苦しめてはならない。 そういうエゴに気づいて、自己の利益を過剰に執着せず、他者を苦しめることを自覚して、自 己がある環境(世界)の立場になって行動すること(自己を無にすること、自己否定が 真に自己肯定となる)が真に自己が生 きることだと教えた西田幾多郎。大きなエゴによって日本と世界中の人を苦しめた日本の敗戦を予期して、私が生まれた年に亡くなった西田幾 多郎。彼の言ったことが、今も少しも実現していないことを嘆いているので はないか。
 「善悪」の基準は、人、家庭、団体、国、時代によって違う。絶対的な善悪の基準はない動揺的な世界。矛盾するものがそのままで、この瞬間の世界となっている。それぞれの「今、ここ」で、自分も周囲も「苦しまない」生き方を探求し続けることが、生きるということで、マインドフルネス、アクセプタンスではないのか。それを妨げるのが、意識的自己の立場による評価、思惟、行動がエゴであろう。このエゴは自分を苦しめること(たとえば、心の病気)があり、また、他者を苦しめること(たとえばいじめ、暴力、差別扱い)がある。こうしたエゴを自己洞察瞑想療法(SIMT)では「本音」といい、自己の独 断、エゴに気づき、自分や周囲の人を苦しめる行為をしないようにし たいという努力を不断に続けるしかない。「意識的自己」を捨てて、独断的な 立場を作らず、周囲の他者をも包含した立場(世界)となってということが、「物となって考え、物となって働く」という西田幾多郎の「立場のない立場」ではないかと思い、それに一歩でも習う。 西田幾多郎は、そうした生き方が、真宗、襌、キリスト教のような宗教にも、学問のも、そしてあらゆる人の行為にみられるという。そういえば、宗教者でない人にも、至誠の行為、愛の行為がみられる。自己を犠牲にして、他者を助ける人がいる。それでいて、その人は輝いている。金子みすずや 宮沢賢治はそういう生き方を子どもに、ひょっとしたら大人にも「自分の頭で考えること」をしてもらいたかったのかもしれない。
 マインドフルネス、アクセプタンス(M&A: *)は、つらいことも避けられない人生だから、つらいことを受容して、自我を抑制して、己を尽くして行為することで、唯一一度の人生を悔いなく死に行く生き方をさすのかもしれない。そうであるなら、 日本には、底なしのM&Aがあると思う。 人は、絶対者ではない。できるかぎり、主体的に自由に自分で考え、己を尽くして生きることにしか悔いなき人生はないように思う。関係者全体の立場に立たずに、己の保身のために行動した専門家のエゴが明るみになりだした。でも、それは、氷山の一角で、これからも続く。人は、意識的自己に執着することが本質で、悪を犯す自由を持っているから。そう西田幾多郎が教えていると思う。だから、自分も周囲の人をも苦しめない生き方を示してくれていると思う。 それは、不断から実践していないと、いざという時に働かない。ある時、課題が「悪魔的」に迫ってきて、専門家でも悪を犯すという。(この場合の「悪」とは、その時代、その国においての価値観から見て、明るみになったら、受容されない行為であり、結局、自分も周囲の人にも「苦」を与えることですが。)
    (*)マインドフルネス、アクセプタンスの定義、およびその対象・内容は、その推進者によって異なる。とどのつまり、何が最終的目標なのかによって違ってくるのだろう。たとえば、「マインドフルネス」は、「気づき」という定義もある。だが、「気づき」そして、それが、何になるのだろう。人は、自分がしたいことを行動できないと「苦」を感じるようだ。さらに、問題のレベルが深くて、浅いスキルでは受容しがたい問題がある。たとえば、自己存在の消滅、価値について苦脳 する問題には、感覚レベルのM&Aでは効果がないことは、すぐ予想できる。
Posted by MF総研/大田 at 22:11 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL