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(7)とらわれないこと [2012年05月29日(Tue)]

種々のマインドフルネス&アクセプタンス

(22)ジョン・カバト・ツィン氏の哲学
 (7)とらわれないこと

 マインドフルネス&アクセプタンス(M&A)を世界的にしたジョン ・カバト ・ツィン氏のマインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)にあ る7つの態度(ツイン、1993)は、東洋哲学にもあることを考察してい る。静座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキャンをする時に、この態度で 行う。
  • (1)自分で評価をくださないこと
  • (2)忍耐づよいこと
  • (3)初心を忘れないこと
  • (4)自分を信じること
  • (5)むやみに努力しないこと
  • (6)受け入れること
  • (7)とらわれないこと
     ジョン・カバト・ツィンは、次のように言う。
     「とらわれないということは、あるがままのものごとを受けとめる ための方法です。自分の心が何かにとらわれたり、何かを追いやろう としていることに気がついたら、そういう衝動を意識的にとき放って 、そのあと、どんなことが起きるかを観察するようにしてみてくださ い。そのとき、あなたが自分の体験を評価しているということに気が ついたら、その評価自体にはこだわらないで、手放すようにしてくだ さい。評価したことは認めるにしても、それ以上の深追いはやめるの です。その事実は認めながら、手放すのです。」(ツイン,1993)
     この態度で、静座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキャンを忍耐強く続 けるのである。
     これは、仏教では「煩悩」というものである。嫌悪系と執着系があ る。常に新しい事態が押し寄せている。次々と過去になる。もうない。つかまえるべきではない。 過去に消えたのに、つかまえて、こだわると自分の苦悩が増大する。自己洞察瞑想療法 (SIMT)では、「煩悩」は、現代では、違う意味をもってしまった用語 を用いるのはふさわしくないので、「本音」という用語を用いる。 ツインのあげた態度は、仏教で、嫌悪や執着を離れるようにいうものである 。道元も次のように言う。
     「信心銘にいわく、至道かたきことなし、唯ただ揀択(けんじゃく )を嫌うと。揀択の心だに放下しぬれば、直下に承当するなり。 揀択の心を放下するというは、我をはなるるなり。」(懷奘,1991)
     揀擇は撰りきらひすることである。 とにかく、好き嫌いの思いを起こすことが多い。主観的、独断的、自 己中心的な評価的判断である。それに気づいて、放すことがコツであ る。好きなことに執着して、やりすぎて苦しむ。嫌いなことを避けて 、社会的行動を回避したり改善するはずの行為を逃避する。
     好き嫌いは、ある特定の感覚、感情、行動から深い人間存在(自分 、他者)までに及ぶ。深いものを好き嫌いするほど、苦悩が大きくな る。とらわれないということは、仏教にある修行の心得であった。現 実を受け入れることを妨げ、大切なこと(マインドフルネスすべきこ と)を失うからである。仏教の場合は、真の自己の探求からそれてし まうことを戒めての心得だった。現代のマインドフルネスでは、 自分の問題を直視して、みだりに好き嫌いで一時的な満足に逃げず、 自分をよく知り、自分の価値ある人生を生きていくためであろう。
     日本の仏教者も、こうやってやさしく教えると、マインドフルネスの人たちが 支援していることと同じく、社会への貢献が甚大なものとなる。大乗仏教にも、道元にもあった、煩悩の抑制、我見我執の気づき、放下を欧米のマインドフルネス者が教えている。日本に、あるのに。


  • ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法 」春 木豊訳、 p67
  • 懷奘,1991、「正法眼藏随聞記」岩波書店、p123


<連続記事・目次>種々のマインドフルネス&アク セプタンス
Posted by MF総研/大田 at 22:04 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL