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ジョン・カバト・ツィン氏の哲学(1) [2012年05月22日(Tue)]

種々のマインドフルネス&アクセプタンス

(16)ジョン・カバト・ツィン氏の哲学
 (1)自分で評価をくださないこと=自己を脱落

 マインドフルネス&アクセプタンスを世界的にしたジョン・カバト ・ツィン氏のマインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)にも、東洋哲 学、道元禅、仏教哲学(大乗仏教)に似た実践的手法や理論(=哲学)が見られる。道 元を尊敬しているというから、道元から得たものかもしれない。彼は 7つのマインドフルネス瞑想法の基本的な態度(ジョン・カバト・ツ ィン,1993)をあげている。参照文献(正法眼蔵や随聞記など)を参照して、正確な文章を あげるべきであるが、省略しておく。この記事の言葉も正確ではないことをお断りしておく。
 正座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキャンをする時に、この態度で行う。
  • (1)自分で評価をくださないこと
     マインドフルネスの中核となる態度。「注意集中力は、常に偏見のない第3者の目でものごとを見ることによって養われます」「常に評価をくだし、反応している自分に気づかなければなりません」「レッテルを張り、分類づけをして」いる。「「マインドフルネス瞑想法」を行うときには、自分が評価をくだそうとしていることを認識し、かたよらない客観的な観察者の立場でその状況を見るように意識的に努めなければなりません。」(ツイン,1993)
     不安とか、症状と か、悪者扱いをしている自分に気づく。良い悪い、好き嫌いのレッテルが特に多い。もっと、深いことは、自分自身を悪と評価し ない(自分を責めない)のである。
     道元の場合、気づくだけではなくて、是非善悪の評価をするな(道元,1989)という積極的な言 葉がある。道元が「我見我執を捨てよ」ということに関係がある。大乗仏教は、「煩悩」といった。こういう主観的、独断的、自己中心的な評価的判断が自分や他者を苦しめる。(7)のとらわれないにも関係が深い。 最初は、気づくだけでいいのだが、やがて、評価しなくなる。自己存在も、他者存在も、その作用も、存在そのものに絶対的価値があ り、人間の立場によって評価するものではないというのが、東洋哲学 である。人間の本質が価値基準による評価を越えていることを道元は「脱落」という。その本質にならうように生活することを「身心脱落」「自己を脱落」するという。自分の価値基準を持ち出さずに、本質(人の基準価値を越えている)がそうであるから、そのように、自己の価値基準、評価を脱落させて正座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキャンをする。
  • (2)忍耐づよいこと
  • (3)初心を忘れないこと
  • (4)自分を信じること
  • (5)むやみに努力しないこと
  • (6)受け入れること(アクセプタンスの中核的態度)
  • (7)とらわれないこと
 この7つのうち、マインドフルネスは、特に(1)である。そして、(6)がアクセプ タンスである。 マインドフルネス法には、必ずアクセプタンスがある。 他の5つの態度にも、集中、受け入れの要素がある。一つには、他の6つが含まれている。 アクセプタンス・コミットメント・セラピーは、特に、アクセプタン スを重視している。 なぜ、そうなったかというと、彼らは、何らかの苦痛や障害、問題行動などの解決を求めたからである。その時に、それらを受け入れることがキイになることを発見したのである。 そして、アクセプタンスとマインドフルネスが対になることを知った。 仏教や襌は、対が一つとしている。自己と自然、内と外、衆生と仏、自己と他者、娑婆と浄土、脱落と現成(これは道元)、否定即肯定、受動と能動など である。M&Aは、受動と能動が類似する。 欧米の人は、仏教でいってきた二重構造を基礎にして、マインドフルネスとアクセプタンスという側面から、仏教をとらえなおしたといえるかもしれない。 この7つは、東洋哲学、道元襌、西田哲学にもある。ジョン・カバト・ツィン氏の手法は、襌から得たのだろう。

  • ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法」春 木豊訳、実務教育出版、 pp55-56
  • 道元,1989  普勧坐禅儀 道元禅師全集、V5、p4、春秋社

<連続記事>
種々のマインドフルネス&アクセプタンス
Posted by MF総研/大田 at 18:56 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL