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もっと深刻な問題 [2012年05月22日(Tue)]

もっと深刻な苦脳

 うつ病、非定型うつ病、不安障害は、対象的な、考えられたものごとが不本意であるための、 苦脳ですから、そういう対象が解決すれば、改善するのです。 しかし、もっと、深い苦脳があるでしょう。 自己存在の問題です。対象的、外的な問題ではなく、自己存在です。経済問題、仕事の問題、身体の病気の問題など、対象的に考えられるものだけではありません。仕事をしていても、あそんでいても、根底にかかえています。一時的にまぎらしても、趣味や社会貢献活動のようなことをしても、 根底に解決していない自分が意識されます。その専門的な行動に満足できない自分があります。
 自己存在は、思考作用、意志作用の奥にあって、思考作用、意志作用をするものですから、 考えても、行動(意志的)しても、わかりません。だから、いきがいをみつけても、やりがいのあることがあっても、何をしても、考えても、満足できない、むなしい自己、罪深い自己が意識されます。 心理療法を越えて、意志的自己を越えて、対象的マインドフルネスを越えた自己存在の探求のマインドフルネス、アクセプタンスでないとすまない人も多いようです。
 心理療法の範囲は、意志的自己で改善します。第3世代は、知覚、思考、感情、行為などを意識する意識、意志作用の活性化のマインドフルネスのようです。メタ認知的です。 それでもまだ、対象的な意識です。意識する自己が自覚されます。 しかし、もうそれでは、すまない、問題があるでしょう。西田哲学は、その先があるといっています。自己意識がなく行動する作用です。叡智的自己、絶対無、そして人格的自己(歴史的自己)です。作用としては、意志作用ではなくて、行為的直観であると言います。自己意識が脱落していながら、行為がよどみなく実現されていくありさま(芸術家やスポーツ選手、産業人が自己を忘れて仕事がスムーズに進行している)が、浅い行為的直観です。もっと、深い行為的直観があるといいます。こうした人でさえも、苦脳する。また、別の種類の「良心」の葛藤もあるといいます。深い行為的直観でないとすまない。こうしたことは、西田哲学に記述されています。実践的には、スポーツ、芸術などをさらに自己を捨てて実行することや、産業人が自己を脱落して働くことを通して(宮沢賢治のいう「自分を勘定にいれずに」)、襌などで自覚されるようです。おそらく、 第3世代のマインドフルネスが普及すると、そこに、はいっていくのではないかと思われます。 そういうことを解決したい人も多いでしょうから。第4世代というのでしょうか。それとも、そこまでを含むのが、第3世代でしょうか。リネハンの弁証法的行動療法の「賢明な智慧」、アクセプタンス・コミットメント・セラピーの「文脈としての自己」はそこまでを言うのでしょうか。研究の課題です。
薬や心理療法で治りにくい場合
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Posted by MF総研/大田 at 11:34 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL