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日本には独特の精神風土がある [2012年05月14日(Mon)]

<連続記事>日本にあったマインドフルネス(3)
 =鎌倉時代に自覚された
 =絶対的アクセプタンスと絶対的マインドフルネス
 =その後長く日本文化の根底に流れた
 =明治以後現代もなお芸術で表現する人が現れる

 マインドフルネス、アクセプタンス(M&A)は、東洋にあったものと欧米のマ インドフルネスを推進する人たちは言います。
 特に、日本のものが独自性があるのです。インド仏教、中国仏教とは違うの です。鈴木大拙の言葉を見ていきます。

日本には独特の精神風土がある

 日本的霊性は、日本独特の自他不二 があります。インド、中国にはないものだと言います。
 個己は意識される自己、超個己は内奥の自己。この2つが一つという見方が 古くからあった。それは、インド仏教、中国仏教も似たところがあるが、日本 のものは違うという。
     「超個の人(これを超個己といっておく)が個己の一人一人であり、この一 人一人が超個の人に外ならぬという自覚は、日本的霊性でのみ経験せられたの である。インドで発展した浄土系思想は支那へ来て一宗建立の基礎概念となっ たが、千年以上の日月を経過しても、真宗浄土思想には転出しなかった。支那 民族の心理には超個己即個己、個己即超個己の端的をつかむものが十分に出現 し得なかった。もとよりこれは思想として、またはある種の直覚として説取せ られ見取せられたが、一人一人の往生ということは十分に意識せられなかった 。」(p110)

     「霊性そのものは超個己底であるが、個己を通さないと、それ自らを表現し ないのである。すなわち「親鸞一人がためなりけり」ということにならないと いけないのである。絶対愛はもとより超個己であるが、それが個己の上に直覚 せられるとき、本当に絶対なのである。この矛盾が親鸞のーーそうしてやがて 、われらの宗教的経験でなくてはならぬ。この経験が鎌倉時代の日本人の一人 によりて経験せられ、そうしてそれが世界のどの宗教者よりても経験せられず 、また支那で二千年の浄土系思想の伝統に養われて居てさえ、その仏教者の誰 もによりて経験せられなかった。それでこれを日本的霊性の直覚というのであ る。日本的霊性には何か此のごとき直覚、または自覚を可能ならしめる本来の ものがあるのであろう。」(p154)
 あさましい(きたない心を持つ)自己がそのままで絶対に包まれているというのは日本独特である。 この「絶対」は、意識的自己(個己)の底に働く自己(超個己)である。個 己もそれが意識するものも、すべて、超個己に包まれてそこから出る。2つは 別ではない。真宗の妙好人は、それをあみださま、念仏、親というふうに情的 にいう。絶対的に包まれている、絶対的アクセプタンスである。日本独特のも ので、西田哲学が論理的に説明している。この自覚に至る方法を説いたのが念 仏や襌の人であったから、「宗教的」とされている。しかし、日本では、芸術 家もスケッチや制作作業などに集中するせいであろうか、自己のない体験をし て、芸術家にも、自他不二的な自覚を表現する人が多い。スポーツ選手、芸能 の人は、自己のない自己を体験する人が多いのであるが、このことをあらかじ め聞いていないので、自覚にならない。 おしいことである。しかし、自覚して自分の芸術作品に表現する人もいるよう だ。

宗教ばかりではない

 文学も、夏目漱石、川端康成、志賀直哉、宮沢賢治などが似たものを表現し ている。自己を脱落すれば、すべて(自然、他者)が自己であるという自他不 二的意識は西洋には多くみられないようだから、やはり、日本人の 特徴なのかもしれない。インド、中国とは違う精神風土があるのであり、仏教 もインド、中国のものとは違うと鈴木はいうのである。こういうことがわかる 時、欧米のマインドフルネスの推進者は、東洋哲学に学んだというが、インド 、中国、日本のどれなのだろうか。少しの違いでも、大きく影響するのが、心 である。認知療法とマインドフルネス心理療法は似ているが違うのである。二 股の道で同じ地点にいても少し違うと、進むにつれて大きく違ってくる。
 宗教としてのインドの仏教、中国の仏教と日本の真宗、襌と、哲学としての 西田哲学も違う。西田哲学の実践化は、念仏や坐禅とも違うであろう。しかし 、根底の自他不二は同様である。こういう日本的霊性から現代人が一見克服( アクセプタンス)できそうもないような葛藤、問題を包みこんで、そして喜び を得て、それぞれの生業に励む(マインドフルネス)のである。こうした日本 的霊性を欧米のマインドフルネス、アクセプタンスの心理学者が活用し始めて 、全世界に広まり、鈴木らが輸出したものが、衣装を変えて、日本に再輸入さ れてきている。

新しい装いで現代日本人の苦脳解決の支援をしてほしい

 もう鎌倉時代にもどるわけにはいかない。根底の日本的霊性はまだ日本人に 流れている。新しい装いで、この不安な時代に不安苦悩をアクセプタンスして 、新しい国を作っていく(マインドフルネス)重要なツールとしたい。 真宗も禅宗もマインドフルネス、アクセプタンスに衣替えできるはずであるが、それは、やはり、そこで生きる人たちがなすべきことである。これまでの学説とは違うかも知れないが、現代の苦難をのりこえるために、祖師も受容するのではあるまいか。道元禅師は繰り返し「衆生を忘れるな」といわれた。暫時、説を落としても、一般国民の苦脳を救うまわりみちをすることを受け入れてくださるのではなかろうか。
 私は、宗教者ではないので、自己洞察瞑想法/療法(SIMT:Self Insight Meditation Technology/Therapy)は、宗教のかおりをもたずに、西田哲学でいこうとしている。日本的霊性として、これらは、みな、根底は同じであるので、マインドフルネス、アクセプタンスがあると思う。 日本仏教、西田哲学のいずれも、日本的霊性に裏づけられているので、マインドフルネス、アクセプタンスとして、現代に貢献できると思う。

僧侶の方もうつ病、自殺防止に

 僧侶の方は、自己洞察瞑想療法(SIMT)をすぐに理解なさると思います。 坐禅の実践もなさっておられるので、短期間でSIMTを会得できるはずです。 坐禅をなさっておられるので、理論は集中講座で学習できますので、一般の人のうつ病などの支援活動に用いていただけたら嬉しいです。県に一つのお寺ででも、襌を活用したマインドフルネス心理療法を受けられるお寺ができることを希望します。
Posted by MF総研/大田 at 19:27 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL