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自分の外に世界がある [2012年04月27日(Fri)]
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自分の外に世界がある

 自分をよく知らないからうつ病、不安障害になると言いました。    自分を意識するのが「自覚」です。自己を知らないと苦しみますから、さまざまな自己というものが意識される自覚ということ、深い自己の探求は大 切です。
     「我々の自覚というものは、単に知るものと知られるものとが一であるということを意 味するの ではない。単なる主客合一が自覚ではない。自己が自己に於いて自己を見ると 考えられる所に、 自覚の意味があるのである。場所が場所自身を限定すると考えられる 所に自覚の意味があるのであ る。」(巻7-88 「哲学の根本問題」)

     「自覚というのは自己が自己に於て自己自身の内容を見るということである。」 (「一般者の自覚的体系・総説」旧全集5巻4313頁)
 哲学的に正確にいうと、自覚とは「自己が自己に於て自己自身の内容を見るということ」 です。自己意識です。簡単にいうと、浅い「自覚」は、今の瞬間に、自分が見ている、考えているというまさにその時に、自分があるかのように感じます。自覚しているのです。 その自分とは何だろう。上記のように、意識されるのは自覚の一種ですが、本当の自分ではないのです。意識された自己であり、対象化されています。本当の自己は、その奥にあります。多くのひとが、自己を知らずに生き、死んでいくのです。あやういものです。
 小学校から大学までさまざまな知識を学習しますが、「自分とは何か」ということを学 習しません。そのことが問題です。全く順調ならば、自分を知らなくても生きていけます 。しかし、自分を知らないために、少しつらいことが起きた時に、自分の精神作用(自分のことなのに)をうま く使いこなせずに、社会的な場面を回避したり、激しく感情を起こして、うつ病になっ たりします。感情的になって非行犯罪を犯したり、家庭を崩壊したりします。
 自分を知らないといいます。西田哲学では、自己は、浅い順から、判断的自己、知的自 己、意志的自己、叡智的自己、人格的自己があるといいます。浅い自己ほど、苦痛に耐え る能力が低いのです。
 この図を見てください。
ichigo.gifbanana.gif
 一つは、「いちご」であると判断します。 もう一つは「バナナ」であると判断します。2つとも「くだもの」であると判断します。 こういう時、自分は意識されていません。つまり自覚がないのです。 この時に自分をさがしてみると、いちご、ばなな、くだものと判断している<もの=主体>が「自分 」であることに気づきます。 (それは、判断作用では気づけません。判断は外界のもの、対象的方向のものをみます。自己自身をみません。) こういう自分は、イチゴ、バナナは、自分とは全然無関係に 存在するものである、自分の外にあるものであると見ています。自分もイチゴとは全然関 係なく存在しているものだとみなしています。イチゴやバナナは自分とは無関係に自分の 外にあると見る。このように見るのが「判断的自己」です。この記事を見ている多くの人 、あなたも、判断的自己である人が多いでしょう。ものが自分の外にあって、自分は、そ れと対立していると見る。自分は、「魂」のようなもので、物や世界は別にあると見てい ます。
 こういう自己の見方は浅い自己であるというのです。本当の自分ではない。 こういう自己観を持つ人は、もろい。多くの不愉快なことが自分が行動するはずの外 (学校、職場、あそこ)にあって怖い。そこへ行けなくなります。勇気を出して行っても、どこまでも 自分の外にあると見えるから、どうしようもないとつらい考えをめぐらし、激しい感情を起こしま す。
 しかし、そういうのは本当の自分ではないのです。「判断」は、自分の作用にすぎませ ん。判断的自己は、物や自然界を見るので、自分のことをよく知りません。イチゴであると判断している作用を起 こすものです。自分の中に作用があります。働き(作用)はその働きの対象(作用 によって作られるもの)とは同じ場所にあります。イチゴは、イチゴだと判断する働きの ところにあります。判断作用の中にイチゴが現れています。よく、検討してみると、 自分は、判断しているもので、判断作用と同じ場所にあります。意識されていないのです が、判断という意識作用を起こしているものが自己であり、判断作用が「イチゴ」と判断 しています。それが、実態なのですが、判断的自己は、イチゴのような「物」は自分の外 にあって、自分は、物と無関係の魂のような実体(独立して存在するもの)とみなしてい ます。判断の時に、自分自身を見ていません。 こういう見方でいると、外界、学校、職場、近所などに自分とは対立して不愉快なものが 外にあるとみなしてしまいます。うつ病や不安障害の人には、外的世界がこのように見えている でしょう。世界が自分と対立していると見ているでしょう。だから、自分ではどうしようもない と、社会から逃避したくなります。 薬物療法で軽くなっても、この対立的な見方は変化しません。ただ、症状が軽くなるだけ です。外的世界が自分の外にあるという見方は、自己の真実をとらえていないというのが西田哲学の教えです。古来、日本の文化の底に自然と自分は一体である、心と身体は一体であるというように、日本人に多かった(今もそういう人がみられる)見方に通じる見方です。 社会の場所を自分の外にあると見る判断的自己では、苦悩 が多くて、心の病気になりやすいのです。
 判断的自己より深いのが、知的自己ですが、これも浅くて、心の病気になりやすいのです。意志的自己になって心の病気になりにくくなります。心の病気のレベルではない葛藤、自己不全、良心的な苦脳を解決できるのが叡智的自己、人格的自己です。 深い東洋哲学を実践するところがなくなりました。欧米の心理療法者が、M&Aとして指導をはじめました。日本の文化にあった日本的霊性、自他不二のことを欧米の人が実践的に指導してくれる事態が起こっています。仏教の専門家でない人が社会の中で深い哲学を探求するインドの「大乗」、同じような深い哲学が専門家の外で生かされる「第2の大乗」は全世界で起こっているようです。
<連続記事・目次>種々のマインドフルネス&アクセプタンス
Posted by MF総研/大田 at 20:43 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL