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無我=自己がなければ世界が自己 [2012年04月10日(Tue)]
<連続記事>
種々のマインドフルネス&アクセプタンス

(6)日本文化に広く流れる「無我」=自他不二

坊がつる賛歌

 日本の文化には、「自他不二」が広く流れています。宮沢賢治、金子みすず、東山魁夷、河合寛次郎、千利休、芭蕉、神谷美恵子、もっと多数が表現しています。
 昨日聴いた芹洋子さんの「坊がつる賛歌」の歌詞に 「無我を悟るはこの時ぞ」とあります。
 志賀直哉の「暗夜行路」で、主人公は鳥取の大山に登った時、風景をみて 自分の小ささを悟り、事故のごとき妻に起こった出来事を許せない苦悩から救われます。
 川端康成の「千羽鶴」は、傷心の女性が九州の飯田高原をさまよううちに 広大な自然に触れて回心が起こり、事故のような出来事の苦悩にこだわることをやめて救われて 、力強く生きていく決心をします。
 自他不二の精神は、日本の文化の底に広く流れています。このレベルの苦悩のアクセプタンス は形式的M&Aではありません。このような深い苦悩の「受容」が必要な人が大勢(何百万も)おら れると思います。 上記は、小説だから、偶然に無我を悟るのですが、こうした構造が西田哲学で説明されているので、心理療法的に助言できるようになれば、社会にとって大きな貢献になります。 深い 自己自身の存在の問題であり、形式的なアクセプタンス、マインドフルネスでまぎら すことはできないでしょう。
 死期が近いと言われた人の苦悩も、仕事や趣味にマインドフルネスしていくことでは間にあい ません。もはや、余命がいくばくもなく、仕事や趣味にいきがいを見出す時間が残されていません。ここにも、深い アクセプタンスが必要になるでしょう。

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Posted by MF総研/大田 at 18:37 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL