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西田哲学も現実に生かされていない [2012年03月25日(Sun)]

西田哲学も現実に生かされていない

 そもそも仏教には、現代にも通用する深い哲学を含むものだったのですが、 その部分を現代の仏教は見失ったというのです。
 初期仏教の経典でも、森に木をさがしにいった建築家は、枝葉を持ってかえるのではなくて、 心材をみつけなければいけないというたとえを書いたものがあります。昔から、集団が大きくな ると、大切なものを失っていくようです。団体が多数の人から成るためですね。浅いが権力ある人、浅い多数決になるためですね。

西田哲学もまた現実に生かされていない

 西田哲学も西田幾多郎が生涯をかけてあきらかにした、人間の哲学ですが、 現代の人はこれを生かしていないようです。
 西田幾多郎の孫(幾多郎の長女上田弥生さんの長男、元都留文科大学学長)の上田薫氏が 西田哲学は「祖父の本当のものは、単に哲学の世界だけではなくて、教育の中にも生きる、経済 の中にも生きる、政治の中にも生きる」はずと言う。それが生かされていないと嘆いておられま す。

 「中にはこういう人もわりに多くいた。私が実際に見ると、本当に祖父の本を擦り切れるまで 読んでいるのです。線がいっぱい引いてあって、感服せざるを得ないようなぐあいなのです。と ころが、その人と、西田哲学の話ではなくて、社会問題や教師としての問題をいろいろ話し合っ ていくと、非常に幼稚なことが多いのです。私は、これはおかしいと思います。本当には祖父の 本を読んでいない。・・・
 悪く言うと、そういう糟粕をなめるというようなところが人びとには多くあります。これは祖 父が一番嫌いだったことなのですね。・・・
 祖父が晩年政治の問題に色々頭を悩ませたのは、たまたま教え子が政治家になったということ もありましたが、そのせいではないのですね。やはり、現実の問題に取り組まなければ哲学に意 味がないのです。ところが、学界でも、現実の問題はどこかへやってしまって、「ある本につい てできるだけ詳しく調べた」ということを主たる傾向にしている。私も哲学者でありましたから 、学会の発表はやっておりましたけれども、やはりこの糟粕をなめるというところが日本の学問 の最悪なところだと思います。祖父の哲学は、絶対にそれをやらないということに意味があった のだと思うのです。・・・
 祖父の本当のものは、単に哲学の世界だけではなくて、教育の中にも生きる、経済の中にも 生きる、政治の中にも生きるということだと思うのです。それは、生半可に店を広げるとい うことでは全くありません。自然にそこへ行かざるを得ない、そこに目を向けざるを得ない。そ れが晩年の祖父の一番の根本のあり方だったと思います。」 (2012,上田薫「書斎の想い出」『点から線へVol.59』西田幾多郎記念哲学館、8-9頁)

 西田哲学の本を丁寧に読む人がいるのに、それが現実にはいかされていないというのです。襌 とはこういうものだと本を書く、講演するのに、その人は襌を実践していない、現実の生活で生き ていないようなものです。ゴルフの理論をとうとうと説明するが自分では全然できない人のよう です。
 西田哲学もこれまでは、一部教育に生かした人がいますが、そのほかには、ほとんど生かされ ていないというのですね。残念です。でも、欧米で東洋哲学を応用したマインドフルネス心理療 法が怒涛のごとく押し寄せていますので、「東洋哲学とは何か」ということが検討されるはずですから、東洋哲学の一つである西田哲学もようやく社会に生かされ、世界に西田哲学 が紹介されていくでしょう。
 生前に評価されていなかったものが、後世に高く評価されるようになることは歴史上、よくある話です。西田哲学が欧米に紹介されればいいのですが。西田哲学の再評価も、欧米のマインドフルネス心理療法者によってなされていくでしょう。
 まもなく、本の出版で、やさしい段階の自己探求の仕方(それでうつ病、不安障害が治る) を公表しますので、西田哲学の研究者におかれましては、そういうことが心理療法ならば、こうすればすべての社会領域に適用される実践的西田哲学になるということを社会にお示しいただけるとありがたい。そういうことが、西田幾多郎、上田薫氏の希望なのだろうから。方向づけを正しく示していただけるのは、やはり西田哲学の専門家であると思う。一方、大乗仏教にも、深い哲学がある(竹村牧男氏)というのであるが、仏教研究者も、そこまでふみこんで、現代に実践される仏教を示してもらえないものだろうか。西田哲学がいうように、自己の集団の利害にとらわれずに、自己を無にして世界の立場でテキストを読む(このこと自体が自己を捨てる行為である、利害に影響されない科学的実践である)ことを通して。
タグ:西田哲学
Posted by MF総研/大田 at 20:23 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL