CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«西田哲学の最終的立場 | Main | 現実は必然的におきるもので受容すべきこと»
東西の哲学の違いがある [2012年03月10日(Sat)]

西田哲学とマインドフルネス心理療法

 =東西の哲学の違いがある、そこからマインドフルネスにも差異が

 今、欧米からいくつかの流派のマインドフルネス心理療法が紹介され始めています。 あるものは、西洋の哲学、あるものは東洋哲学を参考にして、マインドフルネスとアクセプタンス の実践的根拠としています。
 彼らがいう東洋哲学とは何かというと、仏教や禅の哲学をさしているようです。 そうであれば、そういう哲学は、日本が「本家」のはずです。西田哲学はそれと類似することを西 田幾多郎も認めています。西田哲学は、東洋哲学(仏教、禅)と類似するのです。
 西洋と東洋の哲学は、かなり違っていると言っています。
     「東洋と西洋とでは、かかる根本的態度において、ほとんど相反するものがあるかに思われる。 ・・・ 東洋文化の根底においては、之に反し、我々の自己が絶対的一者に帰する、一者のものとなる。そ こに我々の自己が自覚する、そこに我々は真の自己をもつと考えられる。従来の自己は迷いであり 、虚幻であったと考えられる。」(西田幾多郎旧全集10巻472頁)

     「キリスト教的立場からは、東洋的無の立場に至ることはできない。」(旧全集10巻474頁)
 東洋的アクセプタンスとマインドフルネスの要は、仏教の「無」「無我」に在ると思われます。それこ そ、欧米のマインドフルネス心理療法者が言う「東洋哲学」でしょう。 西田幾多郎は、彼の論文において、道元や親鸞の言葉を引用しており、また天台、華厳も類似のものがある言っています。従って、仏教のいろいろな経典の哲学には、西田哲学と通じるものが あるのです。従って、私たちが、マインドフルネス、アクセプタンスの実践によって、医療(心理 療法、痛みの緩和など)や他の領域に貢献するプログラムを構築する時には、その根拠となる理論 を欧米に学ぶのではなくて、日本の仏教や西田哲学に学ぶことができそうです。つまり、なぜ、ア クセプタンス、マインドフルネスがいいのかということを西田哲学や仏教が説明しているというこ とです。だから、東洋哲学を背景にしないアクセプタンス、マインドフルネスは意義が違ってくる でしょう。意義が違うと、適用できる領域が違ってくるでしょう。根底の哲学は、人間の活動のす べての領域のことですから。
     「言語の如きものから政治経済の如きものに至るまで、社会現象はすべてかかる過程によって生 起し発展するのである。」(旧全集10巻540頁)
 ただし、仏教の専門家でさえもが、自分自身が、無我に立たずに、対象的に経典の言葉を解釈するので、深い哲学が明らかにされ実践する専門家が少なくて、真相が埋もれていっているのが実態でしょう。 (→日本仏教から深い哲学が見失われた=仏教研究者からの苦言)
 だから、日本にある東洋哲学を、西洋のマインドフルネス心理療法者に説明するのは容易なことではないでしょう。しかし、欧米のマインドフルネス心理療法者が、東洋哲学に類似するとか、それを応用したというからには、日本人が、それを明らかにしないと、彼らに笑われてしまうでしょう。
 「無我」と「慈悲」が日本的な哲学から出てくる、アクセプタンスとマインドフルネスだと思わ れます。自己を否定(没して)して他者を受容して、社会のために働くのが無我、慈悲ですから。 慈悲の定義が、西田においては、行為的直観と同じです。無となって、他者や環境を自己と不二なるものとして受け入れて、社会の創造のために行動することです。アクセプタンスとマインドフルネスではありませんか。もともと、日本にあったのです。(実際、1993年に、私がうつ病を治すため他者支援を開始した時には、禅で説明していました。しかし、後に、宗教的中立の要請から、西田哲学の場所的論理を参照して説明することに変えました。でも、禅や大乗仏教の言葉でもマインドフルネス、アクセプタンス(M&A)を構築できると思います。おそらく、仏教教団がしてくれるでしょう。(ただ、それは、これまでの自己を否定することですので、苦しい作業になるはずです。自分の蔵にあってこれまで、気づいていなかった宝を掘り起こすのですから、どれがそうなのかみわけがつくのか、それを誰がさがすのか、発見した時、隠さずに公開できるのか。否定、非難されないか。従来の専門家の情報かくし、自分の利益立場を擁護して空気を読み自己の意見主張しなかった、そういう雰囲気があって現在の集団が国民から見放されている、そういう団体が多いのではないでしょうか。仏教教団も自己否定して再生するかどうかの瀬戸際にたっていると思います。初期仏教が大乗仏教にとって変わられましたが、今、M&Aという装いで欧米から押し寄せています。大乗仏教と同様の哲学を持っています。このM&Aこそ、500年後には、第2の大乗運動とみなされるかもしれません。新しいにないてにひろまりつつあります。医師、心理士、ビジネスマン、看護師、教師、歯科医師、非行犯罪の更生の従事者など。仏教の僧侶でない人たちが推進しようとしています。)
     「慈悲とは物となって見、物となって働くことである。」(旧全集10巻473頁)
 となると、無我、慈悲の実践が日本的なアクセプタンス、マインドフルネスだということになり ます。日本にあるのです。そこから、日本的なマインドフルネス、アクセプタンスを構築できます 。 舶来ものしか尊重しないというのであれば、やむをえませんが、そもそも哲学が違うのですから、 おそらく長い間には、限界に達するのではないでしょうか。日本人は、日本的なものが好きでしょう。自分の文化なのですから。
 6月に、出版します。西田哲学を参照したマインドフルネス心理療法として、自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)の技法と説明を公開させていただきます。それをご覧になれば、至るところに、西田哲学と禅に似た説明(それを身につける)があることがわかり、西田哲学や禅の研究者の人なら、もっとすぐれた技法と説明を開発してくださるでしょう。最初、うつ病の領域の日本的M&Aの開発は大変でしたが、他の領域への展開は簡単だと思います。これも発展していくと期待します。なぜなら、欧米発のマインドフルネスも、もう日本でも随分、適用されているようですから。 人は好き好きですから、違うものがあっても、みんないい。 (→金子みすず)
Posted by MF総研/大田 at 22:14 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL