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西田哲学の最終的立場 [2012年03月10日(Sat)]

西田哲学とマインドフルネス心理療法

 私は、日本的なマインドフルネス、アクセプタンスを構築しようとしている。 その時、西田哲学が究極のアクセプタンスと究極のマインドフルネスを論理的に説明できると思う のである。しかも、西田哲学は、実践的、求道的であり、そこに至る実践をも示唆していると思う のである。自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)は、最終的な立場は西田哲学と同じであることをめざす。セッション1−10は、その入口である。その途中である。
 最初から、絶対無など探求できない。段階をふんでトレーニングしていく。 自分の苦脳が解消した人がさらに、実践していけば、西田哲学の最終的な立場(すべての人の根源だという人格を明らかにして、個性的な生き方を尊重する)に至ることも可能だと思うのである。

西田哲学の最終的立場

 =自己洞察瞑想療法(SIMT)の立場

 地震、津波、原発による環境問題、その後の被災地と他の地区の協力と非協力、株主や顧客を無 視した企業の不正、職場におけるストレスによって社員の心の病気、学校におけるいじめ、 家庭における虐待やDV、働く現場での上下関係や同僚関係、 悩みをもつ人に対してカルトによるマインドコントロールによる一層の苦しみなど様々な領域におい て、本来、自他不二の哲学のあるところで、それが徹底されないために、市民、国民が苦しんでい ると思います。
 マインドフルネス心理療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)は、西田哲学の自他不二の 哲学を応用したものですが、元来、それは、日本に古く(天台、華厳、道元など)からあった哲学 です。「身心不二」ということを聞いたことがあると思います。 身体と心は別ものでありながら別ではないというのです。医学の領域で考慮されるようになってきま した。心身症、がん患者の心とがんそのもの、心理的ストレスと免疫、などです。 また、スポーツや芸術にもこのことが実現している人がいると思います。
 以上は、身心不二のことですが、医療現場における関係者同志(医者と看護師の人格的尊重)と医療提供者と患者は人格的自己の「自他 不二」の問題です。学校では、教師同志、教師と生徒、教師と保護者の関係があります。自他不二 の哲学が実践されるならば、もっとすみよい社会になるのでしょうが、この哲学が教育されません 。
 マインドフルネス心理療法(SIMT)のような、西田哲学的心の問題は、心の病気の人だけではなく 、すべての人が実践すべきだと思います。 自己洞察瞑想療法(SIMT)のセッション1−10は、ある意味で、西田哲学の実践的(思索するだけでなく、いかにして、西田哲学を実践体現するか)入門書であるとも云えます。セッション10で、自己を没することの実践の門口に立ちます。まだ、自我の努力で、我執による行動を抑制できるようになります。精神疾患は治ります。しかし、ものとなって働く、自他一如ははるかに先に見えています。ないのではなくて、見えています。西田哲学が論理は教えています。 私は、西田哲学の専門家でもなく、高齢であるので、西田哲学の最終的立場にいたる実践方法(具体的実践方法)は未来の専門家にゆだねたいと思っています。命ある間、ほんの方向を示唆して、希望者に実践していただきます。
 (あとで、触れると思いますが、金子みすずの「みんなちがってみんないい」とか、宮沢賢治の 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と同じ立場だろうと思うのです 。ひとが共通の特徴を持つひとつになる必要はない、個性ある人がそのままで、その場、社会で、 根本的に人格として尊重され受容されるありかたです。下記に「個性的な仕方で生き生きと息づく 」とあります。)
 その前に、根本的なところをおさえておきます。
 哲学研究者によれば、西田哲学は、「弁証法」ではなく「矛盾的自己同一の場所的論理」「絶対 的論理主義」だといいます。相反する2つ(または複数)、矛盾する2つのものを綜合する第3の ものを求めることなく、 現実は矛盾するものが自己否定を媒介としてそのまま自己同一であるといいます。
 西田哲学の最終的な立場です。
     「後期西田哲学の「矛盾的自己同一の場所的論理」は、我々の自己の自己基体化・実体化が否定 され、我々の自己から歴史的現実を差配し(私する)ことが徹底的に否定されることで、歴史的 現実のすべての実在、すべての事実が、あるべき個性的な仕方で生き生きと息づく「形」が、その あるべき必然において現われることを示す論理であり、そのことで一なる全体としての「絶対的一 者」の自己表現の焦点として、我々の自己が生まれ、働き、死にゆくことが成立していることを明 らかにする論理である。」 (2008,板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」法政大学出版局、341頁)

     「西田が求めた「何処までも直接な、最も根本的な立場」とは、歴史的現実の創造と変革の原理 を、歴史的現実の必然それ自身に帰し、現実においてなにものも「自己のもの」としない立場であ る。それは、<我がもの>として自らの意に沿わせるべく力を使うのではなく、我々の自己が現実 において一々の事に即応し、個のそれ自身によるあるべき固有の働きに即応して転換せしめられる ことに、すなわち現実の唯一・一度的な事実の「個性的」な創造に、現実の創造と変革の実現を見 出す立場である。」(同360頁)
 これを、心理療法に応用しようというのが、SIMTです。 (2013年の本は、意志的自己レベルのSIMT、2014年の本は叡智的自己レベルのSIMTの入門です。叡智的自己レベルのSIMTは、さらにもっと書き残したいと思います。さらに、最終的な絶対無に生きる人格的自己レベルのSIMTがあります。実践方向はわかっているので、有志に実践していただきます。)
 そして、それは、心理療法にとどまらず、すべて の領域(家族のありかた(夫婦、親子)、教育、医療、福祉、介護、保健、ビジネス、政治、スポ ーツ、芸能など)において根本的な実践的な立場とすべきものだと思います。
 これは、絵に描いた餅、ではなく、そちらに近づく実践が現実にあるのです。 教育されなかったのですが、西田幾多郎(元来の仏教にも同様の哲学が潜在しているといいますが、仏教研究者の間で、共通の理解に達していません。そこにも、自分の立場に固執する我執が?)が示していてくれたのです。こういう哲学とそれを実現する実践方法を専門家がやさしく教えてくれなかったのですが、宝が埋もれています。
 原子力によって日本や世界が滅亡するか、存続するかも、個人個人が創造的世界の創造的要素としての自覚にかかっています。 日本や世界の指導方針となる、その可能性をみていきます。
Posted by MF総研/大田 at 08:58 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL