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マインドフルネスを推進する者は自己の哲学をもたねばならない [2012年03月04日(Sun)]

マインドフルネスを推進する者は自己の哲学をもたねばならない

 マインドフルネスが普及するにつれて勘違いが起きているような気がする。うつ病の 治療の分野には、深い哲学は不要である。形式的なマインドフルネス、アクセプタンスでも治る。
    (標準化したセッション1から8まで深い哲学はない。ここまででも治る。セッション9に少し深い自己の哲学を探求するが、しかし、まだあまり深くはないが、うつ病は、このレベルで治る。もっと深く自己を探求する人は、指導者講座で、西田哲学の実践化を学んでいく。西田哲学は浅い自己、深い自己を教えている。)
 しかし、他の領域の専門家は、それでは満足しないだろう。マインドフルネスの専門家に誤解がありそうである。
 インターネットで検索すると、マインドフルネスを標榜するサイトが多くなった。ブームに乗り遅れまいと、あるいは、「客寄せ」でマインドフルネスをいうところもあるようである。マインドフルネスは、エゴ、自己の利益執着を批判するものであるのに。
 マインドフルネスを推進する指導者(医療分野ではなく)は自己の哲学をもたねばならない。
 そして不断にそれを実践し、未熟なところを修正して向上していかなければならない。さもない と、真のマインドフルネス、アクセプタンスになっていない。
 マインドフルネスを学びたいと期待する人たち(マインドフルネスの受講者)は、それぞれの分 野(政治、教育、医療、スポーツ、ビジネス、芸術、保健、福祉、非行犯罪更生、終末期患者支援など)のエキスパートである。集中、受容くらい知っているし、実践している。たとえば、スポーツ家、芸術家は、そのことに従事している時、集中している、つらいことを耐えてきた、受容も人並み以上実践なさっている。マインドフルネスの指導者よりも、マインドフルネスとアクセプタンスにすぐれていると推測される。その専門家が、「スランプ」「何かが不足」「力を発揮できていない」といってマインドフルネス指導者に教えを請うてきたら、何を援助できるだろうか。もし、集中や呼吸法などの話を始めたら、イライラして、もう二度と来ないのではなかろうか。
 学校教師も授業に集中し、生徒や父兄の不快な事を受容している。このようなことは、どの分野の専門家にも言えるだろう。ビジネスに従事する人もそうだ。形式的なマインドフルネス、アクセプタンスは実践なさっている人たちだ。どの分野の専門家にもそう言えるだろう。心の病気ではない、そういうそれぞれの分野の専門家の人たちに、マインドフルネスの推進者が何を言えるのだろうか。
 マインドフルネス推進者が付け加えられるのは、おそらく、哲学だろう。「なぜ自己肯定できな いのか」「単に集中、忍耐だけではないのではないか」「自分とは何か」「人格とは」「生きると いうことはどういうことか」「家族とは、あなたとは」などの哲学であろう。そこから形式的では ないマインドフルネス、アクセプタンスの意味が出てくるはず。
 純粋な西田哲学、禅の哲学は「学問」である。それだけでは実践的ではない。社会が今、注目し ているマインドフルネスにはならない。マインドフルネス、アクセプタンスの実践が出てくる読み 方でなければならない。それらは、すでにあったが、カタカナのマインドフルネスほどに社会的に 広く期待されていないし、社会に影響していない。西田哲学、禅の哲学を深く知る国民はほとんど いない。仏教者でさえも、仏教の哲学が深められていないという。(すでに専門家の批判をご紹介 した。さらにまた近いうちにみたい)  形式的なるマインドフルネス、アクセプタンスはすでに日本の禅にある。禅の人はすでに、マイ ンドフルネス、アクセプタンスを実践している。なぜ、カタカナのものに意味があるのか。カタカ ナのものが、日本の禅よりすぐれているのか。そのことを深く探求しておかないと、受講した専門 家から厳しい批判を受けるだろう。
 こうした哲学には、仏教の哲学、禅の哲学、西田哲学などがある。マインドフルネスの指導者は 、それらのどれでもいいから「自己」等の哲学を描いて、実践しておく必要があるだろう。
 ただし、公立の学校や施設、病院などでは、宗教からの中立が求められている場所が多い。 仏教や襌は「宗教」とされているから、その哲学で説明すると紛糾を招いたり、他の宗教を信じる人が拒否するおそれがある。問題が深刻になるほど、難しくなる。仏教や襌の学問がさまざまな説があって対立している。仏教や襌の哲学も宗派、研究者によって、さまざまな解釈がされている。マインドフルネス、アクセプタンスの理論は「仏教からだ」「襌からだ」というと、「それは、違う」と宗門や襌や仏教の研究者から言われるかもしれない。学校で、襌の思想を背景にした実践を教育すべきではないという主張は、他の宗教の人から当然起きてくる。宗教からの中立は、難しい。日本では、仏教、襌、唯識、念仏などの宗門があり、解釈が違う。マインドフルネスが、教育、医療など、宗教によらずどこでも受け入れられるために、また、宗教学との解釈の紛糾に巻き込まれないために、マインドフルネスの指導者の指導者は、そこも考えて、宗教でない理論を研究すべきである。これは、日本特有の課題である。
Posted by MF総研/大田 at 08:50 | 新しい心理療法 | この記事のURL