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最も深い自己 [2012年02月20日(Mon)]

西田哲学とマインドフルネス心理療法(SIMT)

 =自覚的直観・創造的直観

 日本の芸術家には、自他不二、自他一如の哲学を持つ人が多いようです。 千利休、松尾芭蕉、宮沢賢治など(もっと多数です)。
 西田哲学では、これを次のように言っています。2つの局面があるようです。 自己が自己の内(自分の心の内奥の場所)に世界(相手、家族、同僚、近隣、職場、日本、世界な ど) を映す。世界が自己の内に世界を映す。共に、 自己の中に世界があるので、自他不二。金子みすずも、そうなのかもしれません。  「科学と哲学との立場の相違及び関係を明にするため、行為的直観と自覚との関係について、 一言して置きたいと思ふ。私は我々の自己は行為的直観的に自覚するに至ると考へるが、行為的直 観が自覚と同一であると云ふのではない。但、抽象的思惟的に自覚するといふ如き考に反対するの である。私の行為的直観と云ふのは、我々の自己が、世界を映すことによって働き、働くことによ って映すと云ふことに外ならない。矛盾的自己同一的世界に於いての自己と世界との関係である。 自覚と云ふのは、矛盾的自己同一的世界が自己の内に自己を映すと云ふことである。世界が世界自 身に対する関係である。併し此の二つの事は、矛盾的自己同一的世界に於て一つの事である。 我々の自己が世界を映すと云ふことは、逆に世界の一観点となることである。世界の立場から云へ ば、世界は自己の内に自己を映すと云ふことは、自己矛盾的に無数の個物が世界を映すことでなけ ればならない。我々の自己の自覚と云ふのは、自己が何処までも世界を映す、自己が全世界を表現 する、自己が世界となるといふ立場に於て成立するのである。我々の自己が、一つの世界として、 自己の内に自己を映すと考へることである。科学と云ふのは、上に云つた如く、我々が現実に、歴 史的身体的に、即ち行為的直観的に、自己自身を形成する形を見ると云ふに基く。」 (『知識の客観性について』)(旧全集巻10-470頁)(初出:『思想』昭和18年1月-2月)

 「創造的自己の自覚的直観と云うのは、即ち此の論文の立場であるのである。考えるものが考えられるものである。之が自覚的直観である。すべての知識は此の立場から基礎づけられるのである。」(『自覚について』同562頁)

 自己というものが全くなくなって、現れるものが世界の事となります。 現れるものは、無数の個人と自然現象が動くので、自分の予測できるものでありません。必然なこととして受け入れるしかありません。しかし、個人は、自由意志を持っています。自己が全く消滅しているので世界の意志となります。
 マインドフルネス心理療法は、この人間の自己の有様を自覚するような内在的方向で自己を洞察して、 精神疾患を治していくものであると言えます。患者さんは、浅い、やさしいところを実習します。
 アメリカのマインドフルネス心理療法も深い自己を言います。  しかし、欧米のマインドフルネス心理療法では、西田哲学ほどの論理的には説明がされていない のではないでしょうか。だから、別の説明方法(別の心理学で)をいうのでしょう。
 西田幾多郎は、2つの局面を言っています。第一が、自己の自覚で、自己が自己の内に世界を映 す。自己が世界を映すと云ふことは、逆に世界の一観点となることである。自己と世界の関係だと いいます。
 第二は、世界の自覚で、世界が自己の内に自己を映すということ、世界が世界自身に対する関係 である。世界の立場から云へば、世界は自己の内に自己を映すと云ふことは、自己矛盾的に無数の 個物が世界を映すこと。これを、自覚的直観・創造的直観といいます。
 精神疾患の治療の段階では、主に、第一の局面の範囲だと思います。うつ病や不安障害にとって 不快な現象が起きて、嫌悪して抑うつ症状や鉛様麻痺感が起きるのがうつ病。不快な現象(パニッ ク発作、不安など)を逃避したり回避するのが、不安障害といえます。
 ところが、西田哲学やマインドフルネス心理療法者がいうには、意識される心理現象は、意識上 に現われるもので、ACTでは「文脈」というようですが、世界の必然、意識された途端に、もう過去 です。自分の内に受け入れてしまっているのが事実、真相です。嫌ってももう遅い、入るなといっ ても入ってきている、つまり、「受容」し終わっている。必然で過去だから、自我で改変すること は不可能です。無駄です。こうして、現実はつらいことがあっても、それを受け入れる。そして、 その現実の中で、たとえ現われた現実はつらいものであっても、人は(自己は)自由な意志を行使 できる。世界を作っていく一角、要素である(第2の局面)から、自己と自己の属する社会の目的 にそう(つまり自己が生きる世界の立場で)方向の行動をする(マインドフルネス)ことで世界を作ることができる。この自由意志の行 使というところが、マインドフルネスの局面といえます。うつ病、不安障害は、この第一の局面を 実践できるようになれば、治るといえます。理屈は簡単でも、実際には、半年から2年かかってい ます。自己が世界をあるがままに受け入れ(内に)、映すためには、主観的、独断的、自己中心的 な評価的判断をやめる(自己なくして見、考え、働く)という実践が必要であるからです。
 第2の局面は、第一のと一つであるといいますが、世界の立場から見ています。自己も無数の個 人も世界を映し、世界を構成している要素です。すべての人が平等で、世界を創造する存在です。 自己や所属組織の何かの利益、立場に立たない立場、自己を含む世界の立場です。 「だれでも」世界を内に映す存在で平等です。 自分は価値がない、劣っていると苦しむ人の救済になるのでしょうか。
 また、個人の精神疾患の治療のほか、支援者の主観的、独断的、自己中心的な立場を批判する立 場になるようで、科学者、専門家が自覚すべきことのようです。専門家にも、自己の都合、自己の利益、自己の集団の保身という我執が起こり(他者を傷つける)、なかなか、この立場に立つことが難しいようです。西田哲 学は主観的、独断的、自己中心的な立場を捨てる実践を求める哲学のようです。
 たとえば、テレビで「この治療法で、うつ病が50%治ります」 (こういう言葉を見ると、1年もかけて治していくマインドフルネス心理療法は劣っているのでは ないかと心理療法を普及していこうという意欲をそぐかもしれません。「せっかく心理療法のスキ ルを習得しても、あの1、2か月で簡単に治すという治療法にとってかわるのではないかという不 安から」) と放送しましたが、この言葉は、世界の立場ではないですね。分母になる母数が限定されたグルー プですね。治療を受けた人だけですね。その治療法に向かない患者さんは最初から除外(来ない、 受けない)されていて、うつ病の世界全体ではなさそうです。非定型うつ病もその治療法で治るで しょうか。効果があったという論文を読むとか宣伝を冷静に判断する必要がありそうです。
Posted by MF総研/大田 at 21:34 | 新しい心理療法 | この記事のURL