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金子みすずの世界は?(1) [2012年02月17日(Fri)]

金子みすずの世界は?

 =(1)みえないけれどあるんだよ

 東洋には自他不二の哲学があるといわれます。  気になる人が金子みすずです。
 人は自分を知っているつもりでいますが、知らないことがある、見えていない自分がある、見えていないけれどそういう自分がいきいきと働いているんだよ・・・。 そんなふうにも、見えるような・・。
 金子みすずの詩に、「見 えぬけれどもあるんだよ」ということがありますが、本当の自分のことなのではないでしょうか。自分の「お里」を知らないという言葉もあります。

「星とたんぽぽ」の詩です。
金子みすずの詩「星とたんぽぽ」を読みます。

→詩の全体はこちらのHPでご覧になれます。

この詩の中に・・・。
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
とあります。

 「お里」の詩に「私のお里は知らないの、どこかにあるよな気がするの」 という言葉もあります。自己の在所をよく知らない。

 西田幾多郎は、人を一人一人が個性を持つ「創造的世界の創造的要素」といいましたが、 みすずの詩もそう読みたいのです。

もう一つの詩 「わたしと小鳥と鈴と」を読みます。

→詩の全体はこちらのHPでご覧になれます。

この詩の中に・・・。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

 「土」という詩には、これといって社会に知られた有名人ではない、 一般市民、99.99999パーセントの平凡な人間にやさしいまなざしをそそいでいます。
 「要らないか

 いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ」

 名もない人として生まれ、名もなく生き、名もなく死にゆく私たちですが 生まれ、生きただけで意味があるのです。世界をささえています。そんなふうに教えてもらいました。名もない多数の人を包むお宿です、名もない平凡な人同志、互いに受け入れ、ささえている、平凡だけどかけがえのないこの 世界を作っているのです。<私は>東北の名もない人たちにささえられてきました。日本中の, 世界中の人たちが東北の人たちをささえています。それなのに、私は何も。
 「誰でも」(「こだま」という詩の言葉)、名もない自己ですがみな個性的な「創造的世界の創造的要素」。何か金子みすずの世界に、をそんなふうに見ようとしてしまいます。 自分の生きた経験の色眼鏡、主観的、独断的、自己中心的な解釈。 そうですが、詩から受け取る意味はみな違うでしょう。同じであることはできません。 「みんなちがって、みんないい。」
 彼女が生きていた時は、彼女も名のない草でした。著名になった現在、多くのひとを感動させて生き続けているようです。そういう著名なみすずをささえているのがまた名もない多くの人です。本当は、その生きた時に、「ありがとう」とおかえししたかったでしょう。
Posted by MF総研/大田 at 22:41 | 今ここに生きる | この記事のURL