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「自他不二」が東洋哲学の核心 [2012年02月07日(Tue)]

セラピスト・カウンセラーを育成する人には哲学が必要になる(8)

 =「自他不二」が東洋哲学の核心、現代日本の社会問題の解決にこそいかされる

 

自他不二の哲学

 「自他不二の自己」は、日本の歴史上、さまざまな人(たとえば、道元、松尾芭蕉, 宮沢賢治など)が言っているのですが、最近の仏教者はこの深い哲学をい わなくなってしまいました。 西田哲学も「自他不二」の哲学であると、哲学研究者が言っておられます。
     「西田のそうした矛盾的な表現を仔細に検討していけば、そこにはある一貫した考えがみとめら れる。それは、通常、対立的に考えられている主観と客観、個と普遍、自己と他己が一体にして 不 二なるものであるという自覚であり、またものごとを自己の側からではなく、反対に、世界 の側か ら見ていこうとする姿勢である。いわゆる自己というものがまったく消失してしまったとこ ろから 物や世界を見、自己が物や世界になりきったところから行為していこうとする考え方である。 そ れは、まさしくデカルトに始まりカントによって完成された 西洋近代の物の考え方ー西田はそれを主観主義と呼び、対象論理として特徴づけているーに対する アンチテーゼである。こうした視点を離れて西田哲学をとらえようとすると、西田哲学の核心部 分 を見失ってしまうことになるのではないか、とつねづね筆者は考えている。そしてそれが本書 全体の趣旨でもある。」 (「西田哲学の基層」小坂国継、岩波現代文庫、294頁)
 欧米のマインドフルネス心理療法者が東洋的な実践を 掘りおこして、痛みの克服、精神疾患の治療、教育、非行更生の領域など 現代社会の中で活かし始めたのです。しかし、 日本人の仏教者や哲学者でも、自他不二、西田哲学を理解しているとはいえそうもない状況です。 日本の仏教はさまざまに分かれています。西田哲学も理解されていないという声があります。
 上記の小阪氏の指摘された西田哲学と日本的マインドフルネス心理療法との関係を簡単に述べます。

 まず、
     「通常、対立的に考えられている主観と客観、個と普遍、自己と他己が一体にして不二なるも のであるという自覚であり」
 の部分ですが、うつ病や不安障害になると、あるいは、その発病前には、 主観と客観が対立的に考えられているのです。すなわち、自分の人生に現れる状況(仕事、つらい 人、職場、電車、感情、症状などのすべて=客観です)を、自分の外にあるものと考えて、おもいどおりにならないとか、嫌悪の思考を繰り返しています。それが、神経生理学的連鎖を起こして発症し、なってからも治らない。 ところが、主観(自己)と客観(他)が、自己の外にあるのではなく、「一如」、自己(の場所) と一つであるという見方です。日本的マインドフルネス心理療法はこういう見方をトレーニングによって 開発していきます。苦しいだけの自分に対立していた客観が対立したものでななくて、内在的に なる。すなわち、客観の見方が変わる(新しい見方=洞察)のです。このような洞察によって、苦悩の対象であ ったものが、自分に対立したものではなくなると、精神疾患が軽くなるのです。苦悩するだけの思 考が少なくなるので、嫌悪的感情が少なくなることで、症状が軽くなり、問題行動が変化します。
 「個と普遍の一体」は、絶対者、神との関係もそうでしょうが、西田幾多郎は、自己と絶対者( 神、仏)が別ではないということを言います。これまでは、精神疾患の領域にはあまり用いる場面 はありませんでした。これから、活用が考えられるのは、自分の死、自己評価の低さ、人格否定に苦しむ人の援助です。これは、別に述べます。
 また、特定の人物を絶対視させて洗脳させられたカルト被害者の救済には役立つかもしれません。 「あなたの外にいる特定の人物が絶対者ではない。絶対者はあなた自身の底にある。あなたと絶対者が一つである。外にいるあの人ではない。だから、あの人の教えを手放しましょう。彼は、絶対者でなく平凡な人ですから、信仰を捨ててもばちはあたらない。」こういう説得になるのでしょう。ただし、双方とも相当、真剣にならないと、思い込みは変えられませんが。
 大学の頃悩む若者が、カルトにはいっていく人が多いので、大学で、こういいうことを教育すればいいと思います。
 「自己と他己が一体」とは、自己も他人も別ではないということです。上にも「つらい人」と書 きましたが、特定の他人がつらいと思ううつ病の人や、人のいる場面が恐怖という社会不安障害の 治療に役立つでしょう。他人が自分の外にあって対立しているものではなくて、自分と一体(心の 中、心の場所で同一)と洞察できるようになって、自分の心のさまざまな作用がわかると、いたずらに恐れることがなくなり、うつ病や 不安障害が軽くなります。

非定型うつ病

 また、非定型うつ病には、拒絶過敏性から感情的になって鉛様麻痺感の発作をしばしば起こしますが、患者さん側の一方的な見方であることに気がつき、 相手側を含む対人関係の両者の立場(客観的に無評価で)で相手の言葉を受け止めるようになれば、感情的な場面が少なくなって、鉛様麻痺感が起こらなくなります。

パニックやトラウマ

 不安や動悸、パニック発作、フラッシュバックなども神経生理学的な反応は、起こるべくして 起きるので、世界の立場からは必然的に起きてしまうので、それを嫌うとか起きないようにコントロールしようという態度が、神経生理学的な世界の立場ではないので、かえって症状を長引かせます。症状は内的世界の必然だと観念して受容(アクセプタンス)して、自分の役割行動(症状が重い間は、治る効果があるとされる課題の実行)のことをして(マインドフルネスとかコミットメントの局面)いけば、症状が軽くなります。

自我を抜きにして世界の側から

 こうした見方の転換は、次の哲学を実践化することと関係します。
    「世界の側か ら見ていこうとする姿勢である。いわゆる自己というものがまったく消失してしまっ たところから 物や世界を見、自己が物や世界になりきったところから行為していこうとする考え方 である。」
 自我の主観的、独断的、自己中心的な評価的判断ではなくて、それを抜きにして(自己を脱落し てとか、無評価で、といいます)、世界の側から見るトレーニングが、精神疾患の治療に効果的で す。受容の心得に生かされます。

専門家も主観的、独断的になるおそれ

 また、この点は、専門家(研究者、支援者、医師もカウンセラー も色々な産業領域の専門家)の行為が主観的、独断的、自己中心的であってはならないことも教え ていると思います。色々な研究者の行為、学問的な論文にも、主観的、独断的、自己中心的なもの があるはずです。自己をなくしていなくて、自己の都合のよい、自己の利益になる立場 (または何らかの利益<金銭、名誉ある地位など>を得ている組織、企業の利益になるような立場) から物を言 い、他者を傷つけ、攻撃することがある。西田哲学は、そうした自己の立場を捨てて、「世界の側か ら見て いこうとする姿勢である。」これは、精神疾患の療法の場面では、 自己が提供するもの(薬物療法、心理療法や手法)が、本当に世界の立場からになっているか(治療者のエ ゴではないのか、自己の知らないスキルがあるのではないか、患者のためを本当に思っているのか、など=色々な治療者と患者のすべてを含んだものが<世界>ですから)という反省をせまるのかもし れません。 また、グループで治療にあたっている組織の中で、治療方針が対立する時に、自分の面子、自分のプライド、自分の名誉を優先させて、対立したり、行動してしまい、患者さんの利益にならない行動をする。ドラマになるような葛藤が現実に起きるはずです。 自己の利益のために患者さんを利用してはならない。また、自己の治療法を絶対視してはならない、さもないと、患者さんを苦しめるだろうと患者 さん側からも考えていく必要があることを教えてくれていると思います。こういう支援者の心得は リネハンの弁証法的行動療法で強調されていると思います。
 マインドフルネス心理療法を提供する支援者も、自分のエゴイズム、自己の利益のむさぼりに気づき、抑制しなければ、マインドフルネス者とはいえません。マインドフルネスには、自分のエゴイズムの心の観察も含まれています。スキルもないのに、つらい人に提供して、指導料をとり続けるとか、心理的な依存をさせるようなことをしてはなりません。(エゴイズムの心を自己洞察瞑想療法(SIMT)では本音といいます)

日本にある深い哲学を日本人が捨てて、欧米人が拾う

 これは、ほんの一部ですが、西田哲学、東洋哲学は、これから世界中でマインドフルネス心理療法に生か されていくでしょうか。日本の仏教は、こうした深い哲学を見失ってしまったと、竹村牧男氏はいわれるのです。本当に、西洋のマインドフルネス心理療法者が理解できるのでしょうか。日本では、現代社会に影 響を及ぼすことができなくなったというのです。 欧米のマインドフルネス心理療法者は、日本の哲学に期待しているようですが。ほりおこしは大変 な作業になりますので、将来のある 若い研究者が掘りおこして、世界に発信してもらいたいものです。 西田哲学のマインドフルネス心理療法への応用の一例、SIMTもまだまだ不十分です。 治療効果を高める研究の必要があります。意識的自己よりも深い叡智的自己、人格的自己レベルのマインドフルネスが東洋哲学にはあります。 若い、心理士、心理学者の研究を期待したいです。
◆セラピスト・カウンセラーを育成する人には哲学が必要になる ◆カウンセラー(セラピスト、医者)も自己洞察スキルの体験が必要 ◆専門家の我執
Posted by MF総研/大田 at 20:10 | 新しい心理療法 | この記事のURL